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第159回芥川賞⑧ 候補作予想「もう『はい』としか言えない」松尾スズキ(『文學界』3月号)

松尾スズキさんはずいぶん前に二度ほど芥川賞の候補になったことがある。演劇畑の方が芥川賞を受賞するというのはときどきあることで、第156回の山下澄人さん、第154回の本谷有希子さん、古くは第116回の柳美里さんや第88回の唐十郎さんもいる。

それにしても前回候補に挙げられてからかなり間が空いているので、もう芥川賞は卒業したと捉える方が正確かもしれない。しかし、こうして芥川賞直属の『文學界』に中編を寄稿しているというのは、賞がやってくるなら受けるという意思表示にも思える。

 

文學界2018年3月号

文學界2018年3月号

 
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第159回芥川賞⑦ 候補作予想「羽衣子」木村紅美(『すばる』3月号)

木村さんは前回の芥川賞でも候補入りしていた。

 

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 前作では概ね佳作だとの評価を得ながらも、受賞へと突き抜ける力は足りないとの評が下された。

私は前作を読んで

端的に言えば、作品世界がきれいに映像化できた、という点が大きい。言語遊びのような作品にはそれとしての面白さがあるが、それはよほどの手練れによらない限りただの「ゲージツ」として、「一般人」は自分の埒外に存在するものとして、触れないようにしようとするだろう。この作品は、小説ならでは、文章ならではの描き出し方がなされているという点で、すでに小説としてのうまみは十二分にある。 

 と感想を述べており、この作者には期待を寄せていた。

しかし、今作は短編だったこともあり、水のようになんの味もない作品になってしまっていた。

 

すばる2018年3月号

すばる2018年3月号

 

 

近年の芥川賞のトレンドとして、短編よりも中編、短くとも100枚以上の作品が受賞している。候補入りするものも100枚を下回るものは多くない。

トレンドから鑑みても「羽衣子」のような短編は候補入りすることは難しい。

 

芥川賞が中編に偏っている理由はなんなのだろうか。

扱う主題が短編には収まりきらないのかもしれない。しかしそれ以上に、冗漫に書き連ねることに無自覚な書き手が多くなっている気がする。中編という長さを過不足なく活かし十全に語り尽くした作品と並んで、短編に収めて物語のその先の広がりを読者に意識させてこそ完成すると思われる作品を冗漫に引き伸ばしただけのような作品が挙げられているのが、近年の芥川賞である。

 

しかし、短編向きの主題=小粒ということではない。「羽衣子」は小さな文章を小さくまとめきったように感じられた。白鳥が人間に化けているというファンタジー設定一点突破といった趣で、その設定も十全に活かされているのか甚だ疑問が残った。読後になんの感慨もなく、インターネットに散らばっている雑文となんら変わらないと感じた。文芸誌は紙面が余っているのかと勘ぐりたくなるような出来栄えだった。次作を期待する。

第159回芥川賞⑥ 候補作予想「あなたの声わたしの声」小山内恵美子、「団地妻B」樺山三英(『すばる』4月号)

お次は『すばる』。『週刊少年ジャンプ』で有名だが、文芸雑誌も発行している。それが『すばる』である。

 

すばる2018年4月号

すばる2018年4月号

 

 

今回は小山内恵美子さんの「あなたの声わたしの声」を取り上げる。小山内さんは九州芸術祭文学賞の出身だ。ほかには賞で取り上げられたことはなく、無名の作家さんと読んで差し支えないだろう。

この作品は「声が聞こえなくなった自分史編集者」という主人公の設定にかなり強い特色がある。小川洋子さんの『博士の愛した数式』と似たものを感じた。

設定はかなりユニークだが、そこで描かれているものは静かで穏やかなドラマだ。ページを繰る手は止まらなかったが、物語自体は非常に薄味あっさりだった。

静かに、人間というものと向かい合う主人公は、声が聞こえなくなったことをきっかけに自分とも向き合うことになる。内なる声の存在に気付いたとき、物語は新たなフェーズに入る。

ただ、こういう設定にこだわりのある作品は芥川賞ではあまり好まれない傾向にある気がする。地味だが滋味深い良い小説だと思うが、候補入りする可能性も受賞する可能性も低いかもしれない。もう少し刺激を強めれば本屋大賞の方で議論されたかもしれない。

 

そして樺山三英さんの「団地妻B」。樺山さんはSF畑で活躍する作家さんらしい。SF的純文学というものを円城塔さんの「道化師の蝶」以来毛嫌いする私だったが、この作品はまだ読むことができた。

マダムBはわたしだ。

最後の最後までマダムBの正体が雲をつかむようでわからなかった。徹夜明けの頭では難解すぎて理解することができなかった。美しいマダムB、そしてその死体。これはかつて栄華を極めた団地、集合住宅とその凋落と重なって描かれる。

うーむ。読むべきところがあったのかもしれない、と少し思う。しかし読み返したいとは思わない。あまりにも暇だったら、もしくは芥川賞の候補に挙げられたら読み返してみようかな。私の予想としては候補入りはしない。

第159回芥川賞⑤ 候補作予想「少年たち」水原涼(『文藝』夏号)

今回で文藝夏号の中編一挙掲載に関する文章は最後である。

トリは「少年たち」。作者の水原涼さんは文學界新人賞の出身で、受賞作は芥川賞候補にもなっている。箸にも棒にもかからなかったようだが。

今作はどんなものだろう。早速読んでみる。

文芸 2018年 05 月号 [雑誌]

文芸 2018年 05 月号 [雑誌]

 

 

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最悪の状況

深刻な場面

 

全員が作業に終われているときに一人が辞めたいと言い出す

リーダーのYさんと辞めたいKさんのやりとり

 

K:すみません。明日からもう来ません。

Y:ん?どういうこと?

K:辞めます。

Y:え?なんで?というかこの状況でそんなこと言うの?

K:すごい長い時間拘束されるけど私がやることなんてないし、勝手に忙しい忙しいって用事全部抱え込まれて、それを必死こいてやってるのを眺め続けるだけなんて嫌です。

Y:じゃあ自分が何かやることないか、自分で見つけてよ。

K:やることないですか、って聞いたら露骨に嫌な顔する癖に。

Y:仕事の割り振りが終わった後に来て「やることないですか」って聞かれるのは二度手間。顔に出てたのは悪いが。

K:正直今の拘束時間の長さはやることの内容と量に見合ってない。これだけの人数がいるのに活かしきれていないし時間さえかければなんとかなると思ってる甘えが見える。だからもうこれ以上関わりたくないと思ってます。

Y:じゃあ有効に活かしてこの状況を乗り切ってよ。自分で仕切って。

K:今さら人に投げ出さないでほしいです。ここまでほったらかしにされてきたのでわからないことも多いし今いきなりバトンタッチとかまじでムリです。

Y:文句言うばっかりでなんの役にも立たないなあ。だいたい今辞めるとか全体の士気下げることわからない?なんでそんなに自分勝手なの?

K:自分勝手に組織振り回して機能不全に陥れたのはお前だよ。私は最初からそんなに時間は割けないから考慮してほしいって言ったよね?

Y:状況に応じてだろう。現状はどうやっても間に合わないんだからやるしかない。そんなこともわからないの?

K:はじめの想定が甘すぎたんだよ。適当な見込みで走り始めてつじつま合わせのために体力と時間を削り売りしてる。そんなことにつき合わせないで。

Y:いっつも他人事だよな。所属している以上Kにとっても自分事じゃないの?

K:違うよ。だって何も関わってないし。

 

みたいなね。最悪の状況だ。

仕事っていうよりはボランティアとかゼミとかそういう責任があまりない集団だろうね。

考えられる問題点と現実的な改善点を列挙しておくと今後の人生に役立つだろうねえ。

第159回芥川賞④ 候補作予想「しき」町屋良平、「リーダー」松井周(『文藝』夏号)

今回は一気に二作読んだので、紹介も同時に行う。

 

文芸 2018年 05 月号 [雑誌]

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いつ聴いても泣きそうになる ももいろクローバーZ ”パカッポでGO!”

私は結構アイドル好きだ。なかでもももクロは一等好きだ。

はじめは軽い気持ちだった。今は昔「はねるのトびら」という番組でドランクドラゴンの塚地さんが紹介していたアイドルグループ、それがももクロだった。

ちょうどそのころ発売されたシングル”猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」”にドはまりした。同時にリーダーの百田夏菜子さんに釘付けになった。

 

猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」

猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」

 

 

モノノフ(ももクロのファンの呼称)ならご存知だろうが、百田さんは言語化不可能な引力で人を惹きつける。張り出したデコ、浮き出るえくぼ、うひょ顔としか表現しようのないうひょ顔。すべてが私を惹きつけてやまなかった。

その後、まあいろいろありしおりん推し*1に落ち着いた私だったが、先日発売されたニューシングル”笑一笑”ももちろん購入してエンリピしている。

 

 今回のシングルはクレヨンしんちゃんの映画の主題歌タイアップとなっており、私が購入したのはクレヨンしんちゃんとのコラボ盤だ。こちらには通常盤には収録されていないクレしん往年の名曲”パカッポでGO!”が収録されているのだ。

表題曲やカップリング”チントンシャン!”についても語りたいのだが、今回はひとまずパカッポに焦点を当てる。

”パカッポでGO!”は20年以上前にクレしんの主題歌だった。映画「クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの大冒険」のオープニング曲として採用されている。名作なのでぜひ視聴してみてほしい。このころはまだ「嵐を呼ぶ」「伝説を呼ぶ」とかは題名についていなかったのか。

 

 この曲はクレしんオリジナル版ではしんちゃん役の声優矢島晶子さんがしんちゃんとして歌うキャラソンのようなものなのだが、ももクロ版ではももクロ4人で歌う。クレしん版にはなかったアレンジが加えられているがしんちゃんの雰囲気がよく出ていてとても楽しい。曲中に挟まれるしんちゃん風に茶番をするメンバーが愛おしい。特にれにちゃん。「コラ!高城ー!」

 

私が泣きそうになる問題のパートはリーダー百田さんが2サビ後の間奏で言うこのひとこと。

飽きたら捨てるクセに~

声の調子からうひょ顔をしながらレコーディングしている様子が目に浮かぶようなのだが、何度聴いても楽しいうひょ顔だけでは片づけられない感情が胸中を渦巻くのだ。小説における陳腐な表現の代名詞に「泣きたくなる」というものがあるが、本当にそうとしか表現しようのない感情なのだ。

なぜ泣きたくなるのだろう。

 

もちろんヘンダーランドという映画に深い思い入れがあることは関係があるだろう。懐かしの大好きな映画と、新しく大好きになったももクロが重なっている状態に胸がいっぱいになって泣きそうになっているというのは十分説得的な理屈だ。しかしそれだけでは片づけられない。

 

私は「飽きたら捨てるクセに~」というフレーズに差し掛かるとてきめん泣きそうになるのだ。

 

原曲の同じパートでは、しんちゃんが「走れ~」「いえ~」と声をかけたりしている。「飽きたら捨てるクセに~」はももクロオリジナルである。

 

「いえ~」に比べて「飽きたら捨てるクセに~」のメッセージ性はけた違いに強い。

そしてももクロが発するこのメッセージは、私に刺さる理由があった。

恥ずかしながら私はあまり勤勉なファンではない。一昨年去年と夏のライブに足を運んではいるが、その間の時期ではももクロから遠ざかることもしばしばだった。買いそびれて後から手に入れたシングルもあった。冷めてしまってなんとなく距離を置くことに、心のどこかで後ろめたさも抱いていた。

そこにこの「飽きたら捨てるクセに~」だ。

夏菜子は冷めてしまった私をまったく責めない。もはやZポーズをするのにも一抹の恥ずかしさを隠せなくなった私に軽蔑の目を向けない。すごく楽しそうに、なんならうひょ顔をしながら、私の脇腹でもつつきながら、「飽きたら捨てるクセに~」と言う。

これが私のくすぶっていたももクロ愛に再び激しい炎を灯した。ああああああ推せる!!!うりゃおい!!!

ごめんね私間違ってた!4人のももクロを全力で推していくから!

先の週末にあった「春の一大事」というライブはニコ生で観戦した。行かなかったことを激しく後悔した。夏は必ず行くから(東京ドームは歯噛みしながら見送るが...!!!!)

待ってろよ千葉!

 

 ドームは行けないけどベストは絶対買う!これ題名がすごくいいよね。「桃も十、番茶も出花」ももクロ10年目、美しさの盛りだよ!!

 

*1:黄色担当玉井詩織さん推しという意味