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第164回芥川賞② 候補作予想「推し、燃ゆ」宇佐美りん(『文藝』2020秋季号)

宇佐美さんは先日文藝賞受賞作の『かか』で三島賞も受賞された。同期受賞の遠野遥さんも先日の芥川賞を受賞されている。文藝賞、アツい。

文藝 2020年秋季号

文藝 2020年秋季号

  • 発売日: 2020/07/07
  • メディア: 雑誌
今回はそんな宇佐美さんの「推し、燃ゆ」を取り上げる。アイドルに入れ上げて「トップオタ」としてライブへの参戦だけでなくSNSでの発信やブログの運営にも余念がないあかり。高校生だがきちんとバイトもして自分のお金でアイドルに入れ込んでいるところは根性があって好感が持てる。そんな全力で応援している“推し“の真幸くんがファンを殴ったらしい、というフレーズから物語は始まる。
オタクの人々がネットを介して群れる様がリアルで読んでいてしんどくなる。こういう世界もあるのかと中高年はしたり顔でアゴを撫でるかもしれない。
現実を生きる母と姉からはダメ人間のレッテルを貼られ、それでも推しへの愛だけは揺るがない。子供の頃に勉強でつまづき、そのまま特に何かに努力することもなく、世間的には大人しいが故に“真面目”と評されるただの怠け者。あかりはそんな人物である。

推しを本気で追いかける。推しを解釈してブログに残す。テレビの録画を戻しメモを取りながら、以前姉がこういう静けさで勉強に打ち込んでいた瞬間があったなと思った。全身全霊で打ち込めることが、あたしにもあるという事実を推しが教えてくれた。
(『文藝』P31)

本作とは直接の連関がなくて申し訳ないが、私は読みながら、人間は思い込んで執着して生きてゆくものだという実感を強めていた。怠惰に時を過ごすより一生懸命に生きているときの方が充実している。それが社会に適合した方法で一生懸命になれれば賞賛されるが、非適合な方法であれば愚かだとなじられバカにされる。“推し“に生活の全てで浸かり込むと言うのは非適合な方法だった。しかも自分の拠って立つものがその“推し”であると言うのは、自己存在の核を外注しているようなもので不用心極まりない。結局作中で“推し“の真幸くんは芸能界を引退してしまう。ラストは人によって色々な捉え方があるだろうが、“推し“といういわばまやかしが失われて、初めてあかりは自分の生を歩み出すのではないだろうか。
私もアイドルが好きなので、いわゆる“推し”という概念それ自体に疑義を呈したいわけではない。作中で扱われている“推し”は、自己陶酔のモチーフであり、20年前に町田康氏が「くっすん大黒」でデビューした際によく聞かれた「下降への意志」を再解釈して表現したものだと思った。
今後も追いかけたい作家さんである。三島賞を取ったぞ、次は芥川賞だ!と意気込んでおられるかどうかはわからない。この作品は取り上げたテーマは重いが、扱っているモチーフが軽く感じられるため賞では少し不利かもしれない。そもそもノミネートされるかも不確かだが、選考会でどう扱われるかはぜひ見たいものである。