象の鼻-麒麟の首筋.com

お便りはこちら→tsunakokanadarai@gmail.com

後味爽やか、だが、それだけでは終わらせられない〜『アヒルと鴨のコインロッカー』伊坂幸太郎(創元推理文庫)

実は伊坂さんの作品を読むのは初めてである。

本当に全くどんな作家さんかを知らず読んでみたが、『アヒルと鴨のコインロッカー』はとても爽やかなミステリだった。
物語は現在と2年前の2軸で展開される。
現在では椎名という若者が大学入学を機に仙台(作中ではっきりとは明かされていない)へやってくるところから始まる。隣人の河崎というつかみどころのない男から、本屋を襲撃して広辞苑を奪う手助けをして欲しいと依頼される。椎名は断りきれず引越し2日目には強盗の片棒を担ぐことになる。
2年前では河崎は見た目の良さを生かし、ひたすら女遊びに興じている。琴美もそんな遊び相手の1人だったが、琴美は河崎の遊び癖に早々に愛想を尽かしたった1ヶ月で別れている。以降2人は憎まれ口を言い合いながらも腐れ縁の関係性を続けていく。琴美はドルジというブータン出身の若者と付き合っている。琴美とドルジは琴美の勤務先であるペットショップにいた黒い柴犬が逃げ出したため、行方を追い夜道をさまよっていた。琴美のそばを走り去った1台の自動車が何かを轢いたような音を立てたため、まさか柴犬がと思い慌てて駆け寄るも、轢かれていたのは猫であった。猫を埋めるため公園の立入禁止区域へと足を踏み入れ埋葬を済ませた後、2人は野良猫やペットをさらっては殺害を続ける若者たちの会話を聞いてしまう。。。

中盤までは2軸は交わらずにそれぞれの時間軸で進行してゆくが、後半に差し掛かると次第にそれぞれの出来事が交錯し、事態の全貌が明らかになってゆく。
琴美たちはペット殺害集団に付け狙われ、河崎は河崎でHIVウイルスを保有してしまうこととなる。途中中だるみ感はあったものの人物造形が巧みであり、特に河崎と琴美については丁寧に描かれており臨場感があった。

「嫌だからだ」またそういう答えだ。河崎はまるで、屁理屈を盾にして突き進んでくる兵隊のようだった。意外にその盾が強固なものだから、僕は簡単に弾き飛ばされる。(P139)

「無理だよ。どう考えても操られるんだから、それなら素直に従ったほうが賢いよ。もし、性的なものに真っ向から抵抗する男がいたら」
「いたら?」
「俺は尊敬してやってもいいけど、でも、やっぱり馬鹿だな、と思う」河崎は真剣な目をしている。(P210)

河崎はとにかく口が達者でその上見た目が良いので、女性の影が絶えない。近しい関係性として接するには些か難儀な性質である。

「悩んでいる暇があったら、さっさと終わらせてしまいたいっていう性格なの」(P259)

対して琴美は河崎が表面上で繕っている部分に惑わされない。河崎にとっても琴美はうわべだけでなく接することのできるかけがえのない相手だったようだ。


作中では琴美と河崎の出会いについては詳細に語られない。琴美とドルジの出会いについても詳細には語られない。ただ出会った人々の物語が転がってゆく様を切り取っている。
現在と2年前の交錯という企みは、ミステリ的仕掛けに終始しているのではない。2年という期間は、“ある悲劇“が人間にもたらす影響を的確にとらえる上で、必要な時間的懸隔だったのだと思う。ぼかしたが“ある悲劇”については本作を読んでみてのお楽しみとさせてほしい。
作中では外国人や女性に対する無意識の差別、モラトリアムに対する批判、性との向き合い方や捉え方など、極めて規範的な側面も隠す事なく取り上げられている。しかし説教臭くなく、物語の中にうまく融合しているため、読者が物語を追体験する中で、引っ掛かりを感じたところで思いを巡らせることができる。
途中までは面白くなく、読むのも少し辛いように感じていたが、終盤の畳み掛けはとても爽やかであり、私の脳裡では奥華子さんの「ガーネット」がかかっていた。つまりアニメ版の「時をかける少女」が好きな人はハマる要素がある、という事だろうか。いやぜひ読んでみてほしい。