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飄々とした人間の生活を見る〜『騙し絵の牙』塩田武士(講談社文庫)〜

脚本を書くときに演じる役者を想定しながら書く手法を当て書きというそうだ。本作は主役の人物を大泉洋さんが演じることを想定して書かれた「当て書き小説」である。

騙し絵の牙 (角川文庫)

騙し絵の牙 (角川文庫)

  • 作者:塩田 武士
  • 発売日: 2019/11/21
  • メディア: 文庫
 

本屋大賞にもノミネートされた人気作品。オビには今年の6月に映画公開とあったが、HPにて公開延期が発表されている。主演は当然大泉洋さんである。

出版社の内情を暴きながら、雑誌の廃刊を避けるために奔走する編集長速水を描いた本作は、大泉洋さんにしっくりとはまりそうな剽軽でどこか捉え所のない一人の男性について、その生き様について示してくれる。役柄としてはよく見る類型と言えなくもないが、映像がリアルに呼び起こされるため、読みやすく物語が捉えやすいのが美点だ。

速水は44歳のカルチャー誌編集長。妻と一人娘の三人暮らし。会社では編集部の部下と、編集局長や経営陣など上層部との板挟みになる中間管理職。なんでも器用にこなしてしまう性分のため、上の人間からはいいように使われてしまう。コンテンツを扱う出版社の性質上、作品の質を重視するか、売り上げを重視するかという、本当は背反するべきではない二つの命題がつきつけられる。雑誌を廃刊してでも目先の売り上げを追いかける上層部と、良質なコンテンツを継続的に発行するため雑誌や新人賞の意義を説く編集部。速水は一貫して、より磨き上げられた小説を世に出すことを使命として戦う。その戦い方もはじめは飄々としてスマートなほどだが、状況が悪化するにつれ、犠牲を払い泥臭くなってゆく。人当たりはいいが人間味の薄い速水に親しみを抱くことができるようになるのも、この作品の面白いところだ。

速水だけでなくさまざまな人物が表と裏を使い分けながら、さまざまな手札を用意しながら、原稿獲得、雑誌存続、会社存続とそれぞれの次元で自分の理想を実現するために交渉してゆく、ビジネス小説として仕上がっている。人によって私利私欲に塗れていたり、理想や野望に燃えていたりと様々だが、何かに100%傾倒することはなくそれぞれの思惑が揺れ動いている。

400ページ超だが、文章のテンポが良く読後感も悪くない。GWの読書にちょうどいいかもしれない。