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第164回芥川賞① 候補作予想「ババヤガの夜」王谷晶(『文藝』2020秋季号)

とんでもなく切実なテーマを孕んでいながら、それと気づかずに読まされてしまう。

文藝 2020年秋季号

文藝 2020年秋季号

  • 発売日: 2020/07/07
  • メディア: 雑誌
王谷晶さんの「ババヤガの夜」である。
これから読む人に簡単に言うと、これはとんでもなく読んでいて面白い作品です。じっくり何かに向き合わないといけないような辛気臭いだけの作品ではなくて、純粋にお話として完成度が高く読み物としての価値が高い。

日本人離れした体格を持ち非常に喧嘩の強い22歳の新道依子は、街中でチンピラに絡まれたため暴力でなぎ倒していたところをヤクザに拉致される。腕っぷしを買われ内樹會会長である内樹源造の一人娘、尚子の護衛を命じられた新道は、最初こそ尚子と反発しあっていたが、次第に打ち解けるようになる。
新道の両親や祖父母は、出自は不明だが日本人ではない。新道の見た目もそれとわかるような混血であり、幼い頃より差別や偏見と隣り合わせで生きてきた。そんな新道を幼い頃より鍛えてきたのは祖父であった。一方祖母はお話を聞かせてくれた。新道は祖母の話の中では、鬼婆が人と触れ合う話を特に好んだという。鬼婆の振る舞いは人にとっていいことも悪いことも含んでいる。祖母としては恐ろしい鬼婆でも善く生きていれば助けてくれるというメッセージを伝えたかったようだが、新道は気の向くままに生きる鬼婆のようになりたいと言い怒られてしまう。
一方尚子は宇多川というヤクザと婚約しているが、この宇多川がとんでもない変態野郎であった。拷問を異常に好み、長い間痛ぶって苦しむ姿を見ようとする。尚子への扱いは表立って暴力的というわけではないが、尚子のことを性の対象として、かなり偏った捉え方をしていることは伺える。尚子の父源造も尚子のことは人としてではなく女としてのみ扱っており、花嫁修行と称して習い事を詰め込んだり、自分が妻にプレゼントしたお下がりの服しか着せなかったり、犬の首輪のように妻にプレゼントしたネックレスを付けるよう固く命じたりしている。
尚子はこのような状況で次第にお嬢様然とした振る舞いをすることで自分の心に鎧を纏うようになる。初めは新道の粗野な振る舞いに露骨に嫌な顔をしていたが、習い事をサボって新道と喫茶店で話をするうちに徐々に打ち解けてゆく。すると尚子を守っていた鎧が解けてゆき、結果としてある決定的な出来事によって尚子はずくずくに傷つけられてしまう。
対極に見える尚子と新道だが、“属性だけで生き方に制約が課されている女性”という点では共通していた。尚子はヤクザの会長の娘、新道は混血。
女性であることの生きづらさだけを取り上げた作品ではない。状況設定を現実離れしたものにすることで、社会が孕むさまざまな問題が前景化されているように感じた。加えて言うと題名のセンスが良い。これまでに読んだことのないタイプの作品だった。
芥川賞にノミネートされたらとても面白い。早めに単行本化されて直木賞で挙げられてもいい。他の文学賞でもいい。とにかく多くの人の目に触れていろんな人の感想を聞きたいと思う作品だった。