象の鼻-麒麟の首筋.com

お便りはこちら→tsunakokanadarai@gmail.com

違う

誰かに否定されることを極度に恐れている
拠って立つ自分がなく否定すなわち破滅となるから
親切心は人一倍でよく気が付くのにそれを行動に移せない
気持ち悪がられるのではと思うと
そこまで見てるなんて気持ち悪いと思われることを考えると
気付いているのに
行動に移せない
親切をせずに退出すると
自分が行動しなかったことで
何か不利益を被っていないか心配になる
害も益もないならそれでいい
何の影響も及ぼさないなら気が楽だ
しかしわかっていたのに防げたはずなのに
気付いていて見逃したことが
何らかの不利益をもたらしていないかと考えると
落ち着かない

怖さに克つのはいつだって勇気
そうだ勇気が足りないのだ
足りないから足そうと思っても
給油口も見当たらないし
補充液も売っていない
一念発起したとて
何をすれば勇気を得られるのか
わからない
無知は罪
無知は罪
罪なのか
すぐ罪だと思うから身動きを取れなくなる
身動きを取れないことを罪の意識の所為にしている
これだけ罪悪感があるから
もう見逃して
今ここから逃げること
今そこから逃げること
解き放たれることだけを考えて生きている
耐えれば嵐は過ぎる

世界中がそう言った
気付けば人に成っていたけど
中身はからっぽのまま
いつまでも満たさない
何も容れない
容器として存続している
苦しい
だから何
苦しい
だから許してほしい
だけど許されたら何になるのか
許しが欲しくて生きているのか
生きていたくなどない
死んではいけないから生きている
おなじ生きているなら面白可笑しい方がよかろう
これは正論
正論とは胸に核に届かない言葉の事を言う
正論が胸に届くとき
人はおおむね正常である
正常な人間などこの世にはいない
もはや正常であること自体が異常なのだ
しかし正常に近い人はいる
彼らは己が正義が世界を成り立たしめんとすることを知っている
正義は吾にあり
行脚行脚正義行脚
ロヒンギャどついて行脚行脚
正義などすべて個人の価値観に過ぎない
なのに常識志向の人々は基準を作らなければ気が済まない
逸脱する何物も許容しない
これこそ罪である
罪とは他人へ危害を加ふるの愚行なり
すなはち凡ての人間は罪を負っている
生まれ来るとき母は腹を痛める
その時点で罪を負っている
罪負い人は己が罪に気付けば煩悶に苦しむ
何人も罪から逃れたいと欲する
これは呼吸をするのと等しく生理的反応である
食欲色欲に勝る本能である

呼吸さえ凌駕する強烈な願望である
罪を自覚した時点で人は二手に分かれる
一つは罪を負う苦しみに耐える者
一つは罪を贖う意志を持つ者
畢竟罪は減らないのが世の常

罪は殖え続けるのが世の常であるが
贖う意志を持った者は生に前向きになることが多い

苦しみに耐えるべく意志を固めた瞬間に生からの逸脱は完了しているのだ
苦しみに耐えるということは
苦しみをすべて己が躰に負うということ

凡ての人間は等しく負っているのだが
その事実と常に
常に正面から向かい合い続けるということだ
息が詰まる
息が詰まれば畢竟人は死ぬ
じゃあどうすればいいの

おまつりの晩

 遠い夜のことでも俺は覚えている。まだ肩こりの苦しさなんて知らない、そのくせ同情や憐憫といったむずかしい心の機微は感じ取れる小学五年生のころ、俺は生まれた意味を知り世界を憎んだ。

 家を出て三十秒で浜辺に着く。浜辺の奥まったところの潮だまりに、ちっこい魚がたまにいた。ハゼの仲間と思われる。ぴとっと手に吸い付く感触が心地よかった。

 まだクーラーはうちにはなくて、といってもたいていの友達のうちにはあったので単に我が家が貧乏だったのだが、羽が三枚しかない扇風機が、我が家の「涼」を担っていた。俺も弟も親父も暑がりで、冷麺を食べていても汗をかいていた。おかんと妹は代謝の良さをひとしきり羨ましがり、あとは無関心だった。夏休みは冷麺そうめんひやうどんざるそば、その繰り返しだった。あの日が冷麺だったことははっきりと覚えている。夏休みが始まって一週間は経とうかという七月の末、すでに絵日記もすべて書き上げ、あとはひたすら自由な一か月を与えられていた俺は、純粋な暇を持て余していた。暇に飽かせて冷麺を啜っていると、対岸で同じく冷麺を啜っていた親父が珍しく口を開いた。

「今年は田舎、帰るか」

 田舎といっても親父の方のじーちゃんばーちゃんはもう死んでて、だからここで言う田舎とはおかんの実家を指す。田舎は信じられないくらい山奥にあり、おかんはそこから山を下って海に暮らす親父の下へやってきた。親父が言うにはおかんは山の中でイノシシと一緒に駆け廻っていたらしい。俺は田舎へ行くと聞いてまず、自分がイノシシと野山を駆け巡る様子を想像した。あまり楽しそうではなかった。

 俺が小さい頃は毎年田舎に帰っていた。行かなくなったのは親父がいっとき心を病んでしまって家を出られなくなったからだという。おかんは必死に親父を支え、今では精神なんてないのではないかと思われる傲岸な男になってしまった。じーちゃんとばーちゃんは永らく会っていないが、毎年の誕生日とクリスマスとお正月に、それぞれ現金を郵便で贈ってくれていたので名前を憶えている。洋二とハツ子だ。名前を知っていたって呼ぶことはない。二人は俺にとってはじーちゃんとばーちゃんであって、洋二とハツ子ではない。

 俺は小さかったのでほとんど記憶がないが、田舎には小さなおまつりがある。町の人が顔を合わせてあーだこーだ喋りあう場、出店は数えるほどしか出ておらずひっそりしている。

「近所の盆踊りも最近はやらなくなっちゃったし楽しみだねえ」

 母と妹は頻りに楽しみにしている。俺はまだ見ぬおまつりに胸をときめかす、というよりも、ことばにならない気持ちがふつふつと沸いているのを感じる。心の奥の方がキュッと窄んでしまったようで。

去り行くフィーバーに切なくなる

 お祭り騒ぎが去ったあとの風景には限りない哀愁がある。鳴り止んだ太鼓、屋根を下した屋台、漂う火薬のにおい。ほんの半時間前までは太鼓は打ち鳴らされ、的屋は盛況で、数えきれないほど花火が打ち上げられていた。去ってしまえば先ほどまでのフィーバーは幻だったのかと疑いたくなる。フィーバーの最中は別に楽しくない。しかし非日常の高揚感に漂う気持ちは嘘ではない。ただふわふわと、いつもと違う空気に呑まれ揉まれるだけ。いけないクスリのようだ。フィーバーが去った後は大きな喪失感を味わう。できることならもう一度あの非日常を取り戻したいと考える。しかし幻は溶けてしまうから幻なのであり、夢は醒めてしまうから夢なのだ。あの高揚感は、次の夏までお預けだ。

 フィーバーは必ず去り行く。そしてその去り際はとても切ない。

 それは「発熱」(フィーバー)の場合も同じである。

 このところ久しぶりに本格的に体調を崩していた。インフルエンザと診断されてもいつものように、だからなんだと笑うこともできなかった。熱にうるんだ瞳で医者の顔を眺めながら謎の薬を吸引した。丸一日もあれば発熱は収まるだろうという見立ては外れ、都合三日もかかってしまった。幸い実家住まいだったので用事は家族に頼むことができた。それでも臥せても坐っても、もちろん立っても、脳は朦朧とし視界はいつもの三割程度暗く、掠れた声で常に唸っていた。いやうなされていた。うーんうーんとうなされるというのは物語ならではの戯画ではなく本当にあることだ。より正確言うと「hm...」と短い吐息に思わず色がついてしまうような具合。目が熱すぎて閉じていられない日々は三日で終わった。その晩は寝つきが悪く、結局夜中に大量の寝汗をかいて着替えてからは寒気でよく眠れなかった。それでも夜は明ける。依然として不快な寒気はあったものの、昨夜までと比べると完全に頭が軽い。体温を測ると37.7℃であった。昨夜までと比べると極めて平常時に近い状態であり、起き上がり本を読むなど活動を始めた。しかし私は、インフルエンザに感けて誰に連絡もせず所属していたゼミでの活動も一切放置していた。倒れて丸三日、私の作業は滞り全方面に大迷惑をかけていた。こうなってしまっては事態の収拾に多大な労力を要する。それならもう少し熱のまどろみの中にいたい。昨夜までと比較して健康だと言ってもまだ軽い寒気や頭痛は残るし食欲は不振だ。もう一度布団にもぐってしまおうかと囁く自分がいる。煩悶を繰り返し、思いついたように体温を測ってみれば38.1℃と表示された。気持ちの上で38℃台に乗ると立派な病人だと感じる。これは今日も寝てしまった方がいいのではないかと気持ちが偏る。

 発熱状態のとき、何もしなくてよいという免罪符を手に入れた気になる。元来何もしたくない性分のため、これは非常にありがたい。もちろん発熱すれば体力的にかなりしんどく、寒気や発汗など不快なことも多いのだが、それ以上に社会的に何もしなくてよいと認められた存在になることは居心地が良い。赤ちゃんになりたい、と言う人がいるが、この望みは非現実的でかなわないと認識しながら言っていると思われる。ある種のギャグだろう。しかし発熱に対して抱く歓びは完全に現実の世界のものであり、それでいて赤ちゃんになりたいという欲望と同程度、幼稚だ。赤ちゃん返りはせいぜい未就学児までに経験しておくことが望ましいなか、成人した人間が赤ちゃん返りに等しい、しかも現実に実現可能な欲望を抱くというのは、あまりにも自己中心的である。

 それにしても責任を負わなくてよかったころに戻りたい。なぜ私は責任を取ることができないのだろう。母と一緒に近所のショッピングモールに行った日に戻りたい。あのころは弟もまだ小さくかわいかった。まだ歯も生えていない弟と母と私と3人で撮ったプリクラはどこにいってしまったのだろう。あのころはきちんと甘えるべき立場にいた。しかし私は甘えることが下手だった。お祭りに連れて行ってもらっても何もねだらないような子供だった。何も欲しがらないことがいい子なのだと思っていた。すでに一身に両親やその他の人々の愛を十分以上に感じていたにもかかわらず、さらにいい子扱いをされたかったのだろうか。

 子どもの仕事は学校で勉強すること、と言われた記憶がある。おそらく何かしらのメディアからの影響だろう。しかしこれは間違いではないかと思う。私は子どもの仕事は人に好かれることであると思う。己の力で他人からの行為を勝ち取る、という経験は子どものころに癖づけておくと、生きる上でかなり大きな推進力になろう。反対に愛されたいと思って愛されることができなければ必ず鬱屈が蓄積する。

 フィーバーが冷めるときに、私は寂しいと感じる。道具としてフィーバーがないと熱に触れられないからだ。

睡蓮ノート 井上涼さん

 びじゅチューンの動画がyoutubeのNHK公式チャンネルで配信されているのを昨日知った。さっそく私の一番好きな「睡蓮ノート」を無限ループする。

睡蓮ノート『びじゅチューン!』 - YouTube

  往年の人気キャラが登場する本作は、これまでの他の作品を観ているかどうかで評価が分かれるだろう。いや観ていなくても十二分に名作だが。

 同じ作者の懐かしいキャラクターを登場されると私の涙腺は緩む。「変わらないものを約束して 睡蓮ノートに記した」この部分で必ず泣く。悲しいことなんて何もない。ただ青春という限られた時間を描き出されただけで見事に切なく尊く心を刺激される。この作品に出ている彼女たちは卒業してもずっとなかよしなんだろうなあと思わせてくれる。

 同じように懐かしキャラクター総出演する作品といえば、重松清さんの『ゼツメツ少年』が挙げられる。自分の作品世界を愛しているからこんな風にまた活躍する機会を与えたくなるのだろうか。

伊吹有喜『彼方の友へ』、宮内悠介「ディレイ・エフェクト」

 今更だが直木賞芥川賞候補作を読んでいた。

(結局『火定』と『くちなし』は読まずじまいになりそうだ。)

 期待して読んだ両作だったが、期待に応えてくれたのは『彼方の友へ』だけだった。

 レビューをするときには☆5つで私の”好き”度も付記する。

続きを読む