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第33回三島賞①受賞作予想『かか』宇佐美りん(河出書房新社刊)

かか

かか

文藝 2019年冬季号

文藝 2019年冬季号

  • 発売日: 2019/10/07
  • メディア: 雑誌

三島賞の受賞作予想、として書き始めたが、本作以外の候補作は読まないかもしれない。河﨑秋子さんの『土に贖う』など気になる作品もあるが、そもそも本屋へ行く機会が減っているので難しい。
本作は文藝賞受賞作。単行本化されたものが候補に上がったようだが、私は掲載された『文藝』(2019冬号)で読んだ。
浪人生うーちゃんが、弟である「おまい」に、やけに幼いどこかの方言のような語り口で、生きている中で性やその他様々なことに関してもどかしく感じていることを赤裸々に語りかけている、というスタイルの小説。
本当に正直というかリアルな小説であった。

いきなし妙ちきりんな告白から始まってごめんだけど、うーちゃんは体毛を剃るのが下手です。はじめてかかのカミソリあててみたときなんかは、何もつけずにしたせいで当然のごとく肌を傷つけ赤こい線をつくりました。今ではさすがに泡あわ使うし怪我はしんけど、十九歳になったところでむつかしさはかわらんもんよ。 (『文藝』2019冬号:P11)

このようなスタンス、語り口で、筋立ての中心にある「かか」(=母)との葛藤も描かれてゆく。

かかは、自分のなかの感情をさぐって眉間のあたりに丁寧に集めて、泣くんです。涙より先に声が泣いて、その泣き声を聞いた耳が反応してもらい泣きする、かかは毎回そういう泣き方をしました。 (同:P19)

受賞インタビューで作者が語っているように、物語のストーリーよりも、語り口の方に腐心していることはよく伝わってきた。とくに、細部の描写には凄まじいものを感じた。
以下の一節は、うーちゃんが見知らぬ町を見て抱いた瞬間的な妄想の描写である。

飲み屋のほのぐらい照明の下では美人だが外に出たとたんにきびやしみが目立つ女店主、彼女がひっそし裏に飼っている栄養失調気味の犬、スーパーの売り場と駐車場をつなぐ階段の踊り場の椅子でひとふくろ百円六本入りのチョコチップスティックパンを隠れるようにして貪り食うおじさん、学校に行かんで昼間からコンビニのイートインで携帯を弄っている金持ちの学生、ドラッグストアの試供品をかたっぱしから手に取り派手に化粧をして不倫しに行く女、妻に先立たれた家で無音の囲碁番組を字幕で見る老人、縦横無尽の電柱に縛られた街。そんなかに何十年か先に生きる未来のかかがいる気いしました。 (同:P34)

巧い小説、というのとは違っており、描写が素晴らしいとか言葉選びが素晴らしいとかそういう細部に関してはとても上手いのだが、小説全体を通してはとても正直で、正直すぎており、読んでいて直接うーちゃんに詰められているような迫力も感じる。
三島賞の評価も楽しみだし、何より作者の次の作品が楽しみだ。

愛と「べき論」の自縛〜「おぼれる心臓」坂上秋成(『文學界』2019年12月号)〜

優れた小説は人の心を抉る。 

文學界 (2019年12月号)

文學界 (2019年12月号)

  • 発売日: 2019/11/07
  • メディア: 雑誌
 

おかげで眠れなくなった。坂上秋成さんの「おぼれる心臓」である。

前作「私のたしかな娘」を読んだときにかなり心を掴まれていたので遅ればせながらようやく読んだが、今作も快作である。 前作については以下の記事に詳しい。

tsunadaraikaneko-538.hatenablog.com

 今作の主人公はイングランドの三部リーグのフットボールチームでセンターフォワードを任されているシンゴ。妻のコハルはアイドルだったが、シンゴのイングランド移籍を機に結婚し芸能界を引退する。この夫婦の仲は決定的な何かがあったわけではないが冷めつつある。

シンゴは妻に対しては男として頼れる存在であろうと振る舞おうとする。しかしいつしか日常の些細なことで妻に対してあたってしまうようになる。妻に対し引け目を感じるようになり、性交渉に及ぼうとしても妻の目線にたじろぎ不能に陥ってしまう。そんなことが続き、いつしか妻は自分にオスであることを求めなくなっていることを感じ取る。

所属チームにおいては、監督のモーガンから、プレーにおいて頭を使っていないことを指摘される。フォワードというポジションに求められるものにばかり気を取られ、自分のプレーを型にはめにいってしまっていた。

このシンゴの人物造形は、非常に素直でありしかも思慮深い。そのため、上記の困難に関してもコハルやモーガンの指摘を冷静に受け止め、苦悩しながらもやはり冷静に己の状況を分析し対処できる。そのため、文芸誌の上下2段組で51ページという短い枠の中で、これだけの苦悩を結末でカタルシスに結びつけてうまく収まっている。

実際は、シンゴのように役割に敏感で、「夫はこうあるべき」「フォワードはこうあるべき」という考え方をしている人間は、もっと悪い意味で頑固で人の言うことに聞く耳を持たないものだと思う。しかし本作は、そういった人々が現実において苦しい状況をどのように打開することができるか、ある一つの枠組みをすっきりと見通しの立つ長さで示したと言う点で、非常にすばらしい作品だと私は思う。

飄々とした人間の生活を見る〜『騙し絵の牙』塩田武士(講談社文庫)〜

脚本を書くときに演じる役者を想定しながら書く手法を当て書きというそうだ。本作は主役の人物を大泉洋さんが演じることを想定して書かれた「当て書き小説」である。

騙し絵の牙 (角川文庫)

騙し絵の牙 (角川文庫)

  • 作者:塩田 武士
  • 発売日: 2019/11/21
  • メディア: 文庫
 

本屋大賞にもノミネートされた人気作品。オビには今年の6月に映画公開とあったが、HPにて公開延期が発表されている。主演は当然大泉洋さんである。

出版社の内情を暴きながら、雑誌の廃刊を避けるために奔走する編集長速水を描いた本作は、大泉洋さんにしっくりとはまりそうな剽軽でどこか捉え所のない一人の男性について、その生き様について示してくれる。役柄としてはよく見る類型と言えなくもないが、映像がリアルに呼び起こされるため、読みやすく物語が捉えやすいのが美点だ。

速水は44歳のカルチャー誌編集長。妻と一人娘の三人暮らし。会社では編集部の部下と、編集局長や経営陣など上層部との板挟みになる中間管理職。なんでも器用にこなしてしまう性分のため、上の人間からはいいように使われてしまう。コンテンツを扱う出版社の性質上、作品の質を重視するか、売り上げを重視するかという、本当は背反するべきではない二つの命題がつきつけられる。雑誌を廃刊してでも目先の売り上げを追いかける上層部と、良質なコンテンツを継続的に発行するため雑誌や新人賞の意義を説く編集部。速水は一貫して、より磨き上げられた小説を世に出すことを使命として戦う。その戦い方もはじめは飄々としてスマートなほどだが、状況が悪化するにつれ、犠牲を払い泥臭くなってゆく。人当たりはいいが人間味の薄い速水に親しみを抱くことができるようになるのも、この作品の面白いところだ。

速水だけでなくさまざまな人物が表と裏を使い分けながら、さまざまな手札を用意しながら、原稿獲得、雑誌存続、会社存続とそれぞれの次元で自分の理想を実現するために交渉してゆく、ビジネス小説として仕上がっている。人によって私利私欲に塗れていたり、理想や野望に燃えていたりと様々だが、何かに100%傾倒することはなくそれぞれの思惑が揺れ動いている。

400ページ超だが、文章のテンポが良く読後感も悪くない。GWの読書にちょうどいいかもしれない。

高尾長良「音に聞く」(『文學界』9月号)、高山羽根子「カム・ラウンド・ギャザー・ピープル」(『すばる』5月号)、李琴峰「五つ数えれば三日月が」(『文學界』6月号)、乗代雄介「最高の任務」(『群像』12月号)

 

前2回の芥川賞をあまり追えなかったため、過去の候補作を遡って読んでみる。

 

高尾長良「音に聞く」(『文學界』9月号)

文學界 (2019年9月号)

文學界 (2019年9月号)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2019/08/07
  • メディア: 雑誌
 

第162回芥川賞候補作。

高尾さんの「音に聞く」は全編を通して他では得難い雰囲気があった。文体と設定がフィットすれば、こうした情緒の作品を好む人はいると思う。ただ、世評を聞く限りでも、大半の人には受け入れられ難い性質を持っていることは間違いなさそうである。一読するのにかなり時間を要したにも拘らず、読み終えた途端物語の筋さえ追うことが困難になっている。私はこの作品の良い読者とはなり得ない。音楽に取り組む妹真名と翻訳家の姉有智子が、幼い頃に別れた父を訪れたという出来事を、姉有智子が手記としてまとめたものを手に入れた古書店主が持ってきたものをある女性が読んでいる、という非常に入り組んだ構造になっているが、この構造が物語になんらかの影響を及ぼすというわけではなさそうである。音楽用語などに脚注が多くつけられ、文末に纏められている。勤勉な読者はいちいち参照することと思うが、明治期の小説を読むときなどでも注釈はいちいち参照しなくても筋を追うのに苦労しないことが多い。あくまでディテールを膨らませるものとして、2周目に読むときの楽しみにしてもよいはずである。しかし本作は脚注のせいかなんのせいか、とにかく読み進めていくほどに物語から阻害されてゆくのを感じた。こういった作品は好きな人だけが好きならばいい、というものだと思われるため、気になる人はこの作品を高く評価している人から評判を聞いて購入を検討してみて欲しい。

音に聞く (文春e-book)

音に聞く (文春e-book)

 

 

高山羽根子「カム・ラウンド・ギャザー・ピープル」(『すばる』5月号)

すばる 2019年5月号

すばる 2019年5月号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2019/04/05
  • メディア: 雑誌
 

第161回芥川賞候補作。

4つの場面が切り替わりながら、しかし十全に描き尽くさないよう注意して書かれていると感じた。

主人公の女性は三度性被害に遭っている。本作の書かれ方があまりそこに力点を置きすぎないようになっているため、読者によっては注意を払わなかったという人もいるだろう。ヘルメットをかぶせたいという感覚、おばあちゃんの読経の声と妙に艶かしい背中、おばあちゃんには羽虫が見えない。前作「居た場所」から引き続き、高山さんはモチーフを効果的に用いることに長けた作家さんだと思う。通読したのみで感想をまとめるのは非常に難しい。主人公の女性の特徴を端的に表した文章を以下に引用して終える。

対応する生活、それ用の人生は、私にとってそこまで苦痛じゃない。たまたま、私にとってはだけど。p26

先日発表された「首里の馬」は少し趣向が変わったように思えた。また候補作予想としてまとめようと思う。

カム・ギャザー・ラウンド・ピープル

カム・ギャザー・ラウンド・ピープル

 

 

李琴峰「五つ数えれば三日月が」(『文學界』6月号)

文學界2019年6月号

文學界2019年6月号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2019/05/07
  • メディア: 雑誌
 

第161回芥川賞候補作。

日本にいる台湾人女性による、台湾にいる日本人女性への、実らなさそうな恋の物語。すでに男性と結婚してしまっている相手に対して同性愛の感情を持ってしまう辛さ。互いに異文化の中に生きる難しさ。自分の生きる場所が定まらないような、本当に自分がいる場所がここなのだという実感が得られないような、そういう定まらない感覚が漂っていた。芥川賞の選評で触れている選考委員もいたが、日本人女性の現在の生活に関しての記述が、そこだけ日本人女性目線に切り替わってしまったのが少し中途半端な印象を受ける。全編を通して台湾人女性側の煩悶や苦悩を孕んだ述懐でよかったとも思う。題名はよく効いている。

五つ数えれば三日月が

五つ数えれば三日月が

 

 

乗代雄介「最高の任務」(『群像』12月号)

群像 2019年 12 月号 [雑誌]

群像 2019年 12 月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2019/11/07
  • メディア: 雑誌
 

第162回芥川賞候補作。
日記を書くことが最高の任務であり、最高の任務には任務を超えた先に何かがあるという。死んでしまった博識な叔母と出かけた場所を一人で再訪して回る。そこで見つけた祖母の痕跡、小学5年生以来の卒業というフレーズ。さまざまなエピソードがうまく絡み合いつながり結末へと収束してゆく。比較的わかりやすい小説になっており、芥川賞の選考会の場ではその点がマイナスに働いてしまったようである。小説がうまく作られすぎていてダメならば、せめて高山さんの作品などが受賞できればと思うのだが。読後感はいい。

最高の任務

最高の任務

 

 

久しぶりに多くの作品を一気に読むと夜眠れなくなった。ウイルスで不要不急の外出を避けるなら暇つぶしには読書がちょうどいい。

第163回芥川賞① 候補作予想「黄色い夜」宮内悠介(『すばる』3月号)

巨大な螺旋状の塔内に存在する無数のカジノが、その国の観光資源だった。ルイはある思惑を抱いて、上へと伸び続ける塔を訪れるのだが……。200枚一挙掲載。(『すばる』HPすばる - 集英社より)

すばる 2020年 03 月号 [雑誌]

すばる 2020年 03 月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2020/02/06
  • メディア: 雑誌
 

『すばる』3月号巻頭作。『すばる』と言えば先の芥川賞受賞作、古川真人「背高泡立草」を出した文芸誌である。5大文芸誌というくくりで『文學界』『新潮』『群像』『文藝』らと肩を並べているが、芥川賞受賞作の数は最も少ない。三木卓「鶸」、金原ひとみ蛇にピアス」、田中慎弥「共喰い」、次いで上述の古川氏。本作が芥川賞を受賞すれば『すばる』としては5作目の受賞作となる。芥川賞レースとしては手堅いとは言えない雑誌だが、今回取り上げる「黄色い夜」はどうか。

物語の筋は、ルイと名乗る日本人の青年が、旅の途中に出会ったピアッサというイタリア人とともに、海外のカジノを乗っ取ろうと企む、というもの。舞台はエチオピアの隣のE国。E国は資源もなく観光にも向かない砂漠だが、カジノによって立国している。上へ上へと伸びるカジノ塔だけがE国で潤沢に輝いている。その最上部に国の元首がおり、ギャンブルで勝利すれば国をひっくり返すこともできるという。それがE国という国家のあり方である。

カジノに群がるように欧米諸国の富裕層が集まる。現地の民は彼らから富を得ることで生きてゆく。それも満足に得られているとは言い難く、塔の中で奪い奪われているに過ぎない。旅の者である日本人ルイが、そんなE国の構造に挑む。

塔の60階以上の上層部に各国の富豪たちは集まってくる。そこに入るには高価な会員証が必要だが、これは下層部の各フロアにいる元締めからも入手可能である。これを手に入れるために元締めたちに様々な知略を巡らしてゆくさまは、ボスを倒しながら進んでゆくロールプレイングゲームのようで面白い。

ぼくはねピアッサ、訪れた人を蘇らせる国をこそ作りたいんだ。

(『すばる 3月号』P18)

P18でルイが言った「訪れた人を蘇らせる」とは何か。ルイの目指す国とは、一国をして巨大な開放病棟にしてしまうことである。それは天真爛漫で純粋であるばかりに、袋小路に迷い込んだ人や社会の自意識を無条件に突破させるためのものである。狂気こそ、トランキライザー、つまり精神安定剤から人間を呼び覚ますために必要であり、皆が否応なしに抱える狂気が共存できる国を作ることがルイの理想であった。砂嵐吹き荒れるE国の「黄色い夜」に、寛解の見込めない患者を受け入れる。そうすることで、ルイは恋人を救いたかった。天使爛漫で純粋なミュージシャンであった恋人を。結果がどうなったかは作品を読んで確かめてほしい。

宮内さんの作品は、異国の情景描写や旅の風情に旨味が詰まっている。テーマがどうとか御託は抜きにして、読書体験が楽しめることと思う。

ストーリー性に富んでおり、芥川賞のフィールドには馴染まないかもしれない。ネタバレにならないよう今回は記述を控えめにしているので、図書館などで借りられればぜひ読んでみてほしい。

第162回芥川賞② 候補作予想「デッドライン」千葉雅也(『新潮』9月号)

 学者が小説を書くと周りの教授陣から冷遇されるという話を筒井康隆さんの『文学部唯野教授』で読んだ。文学賞の候補に挙がった唯野教授は身バレを恐れて辞退しようとする。しかし最近では学者が文学賞を受けることはそう珍しいことでもない。松浦寿輝さんは芥川賞を取っているし、元東大学長の蓮見重彦さんも三島賞を取ったし、社会学者の岸政彦さんは三島賞芥川賞の候補にも挙がっている。千葉雅也さんが小説デビューを飾った本作「デッドライン」が芥川賞などを受けることは千葉さんにとっても望ましいことなのかもしれない。分量は230枚でちょうどよいボリューム。

新潮 2019年 09 月号 [雑誌]

新潮 2019年 09 月号 [雑誌]

 
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第162回芥川賞① 候補作予想「如何様(イカサマ)」高山羽根子(『小説トリッパ―』夏号)

第161回の芥川賞直木賞は1作読んだだけで終わってしまった。やっぱりお祭りには参加したいので今回から頑張って読んでみようと思う。とはいってもまたしばらく読めなさそうだけど。

 

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