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第160回芥川賞⑩ 候補作予想「鳥居」石田千、「私のたしかな娘」坂上秋成(『文學界』10月号)

やっぱり文學界、いい作品が多いなあ。五大文芸誌の中では私は『文藝』と『文學界』がお気に入りである。新人賞では文藝賞がいちばんかな。すばるも面白いのがたまにあるけど、全般的な傾向としては文藝賞のほうが好き。文學界は新人賞になるとどうしてあんなに硬いものばっかりになっちゃうのかな。

文學界2018年10月号

文學界2018年10月号

 

今月号の『文學界』は豊作である。候補歴三回の石田さんが140枚の短編を発表、さらに未だ候補歴はないものの、期待の新人である坂上さんが150枚の作品を寄せている。どちらも最後まで一気に読ませる力を持っていた。今月号の『文學界』は「買い!」である。

石田さんはこれまでに3回芥川賞の候補に挙げられている。人間関係がややこしいとか話の展開が複雑だとか、割と作品の構成にいちゃもんをつけられていたようだ。不勉強でお恥ずかしい限りだが、私は石田さんの過去の作品は読んだことがない。しかし、今回取り上げる「鳥居」に関して言えば、読むことに難儀するような代物ではなかった。

 50を目前に控えた主人公が雲雄という男性と旅行する話。序盤はかなり退屈に思える話の展開だが、短文を連ねる文章が心地よく、読み進めることには苦労しなかった。

 だんだんこんなふうに、気を抜くと、どこを見てもなにをしても、死んだひとにしのびこまれてしまう。ひとの死にめも場数を踏んで、遠出の電車でぼんやりすると、いなくなっただれかを思い出す。ひとり思えば、つぎつぎにあらわれる。

  会っていた歳月でもなく、かわした言葉でも、仕事の量や質でもなく、呼びかけてくるひとがいる。頼まれたわけでもないのに、いつのまにか死んだひととの縁をたばねて暮しているみたいになって、逆はないので、終わりもない。彼岸のひとが増えるにつれて、死ぬ生きるがだんだん曖昧になっている。

(P73下段)

 作品全体を生と死というありふれたテーマが貫いている。それでいて陳腐だと鼻白むことなく読ませてしまう筆力はたいしたものである。

祭りのシーンがある。ここが私は大好きである。

 屋台のならぶ商店街にもどる。イタリアン・スパボー、人形すくい、富士宮焼きそば。浴衣の子どもたちの兵児帯や浴衣の蛍光色が、車一台ぶんのせまい道を流れていく。浴衣の子のとなりで、うらやましい目をしている普段着の子がせつない。お神輿を担ぐ女の子たちは、染めた髪を、細く細く編みこんで、胸もとに、バラのタトゥー風のシールをつけている。お祭りのときにしか見られないおしゃれだった。

(P89上段)

このシーンを読んで、私はおまつりに行きたくなった。偶然、今日は地元でおまつりをやっているのだ。行く予定はなかったのだが、散歩がてら冷やかしてみようかな。

 

地味だけど良作。そろそろ受賞するんじゃないかしら。候補入りは手堅いと思う。

 続いては坂上さんの「私のたしかな娘」。読み終わってから題名を眺めて泣きそうになった。元引きこもりの神谷という男が勤務先のレストランの店長一家と仲良くなりすぎてしまう話。家族とはなにか。ウチとソト、社会学的なテーマだが、純粋にドラマとして描かれているので読んでいる途中はそんなことを考える暇もなかった。

神谷が家族に介入してくるのを店長の妻晴美が嫌がる描写が巧みである。

 恩人の妻にどのような距離感で接するべきかというのは、なかなかに難しい問題だった。私は晴美さんに対し感謝の念を抱いているし彼女の方もこちらに一定の好意を示してくれているが、我々のあいだで交わされているのは浅瀬に留まった上でなされる安全な会話であり、決して深いところまで潜っていくようなことはない。

(P135上段)

神谷が店長夫妻の娘由美子にプレゼントを贈った日には、晴美がプレゼント代を渡そうとする。

「忘れないうちに渡しておかないと」、と晴美さんは言った。

 受けとった封筒を開けると、一万円札が入っている。

「なんですか、これ」

「リュックの代金だよ。気を遣ってもらって、ありがとうね」

(中略)

「俺はこれまで、誰かにまともな贈り物をしたことがなかったんですよ。(中略)でも彼女がかわいいって言ってくれたら、溜まっていたよどみたいなものがすうっと溶けて、それはとても爽快で、贈り物をしてよかったって心底思えたんですよ。代金を受け取ったりできない。一万円をもらったら、その時間が俺のものじゃなくなってしまうでしょう。それ、違うんですよ」

(P147-148)

神谷は由美子のことを本当の娘のように思っている。というか彼の中では由美子は本当の娘なのだ。彼は由美子に絵玲那という名前をつける。彼は絵玲那に贈り物をしたのであって、由美子に贈ったのではない。だから代金を受け取ることはできなかったのだ。

とうとう店長一家への接近禁止令を晴美から言い渡された神谷は、絵玲那を密かに温泉旅行へ連れ出す。そこで最後の親子の会話を繰り広げるシーンなどは感涙必至である。

 彼女はジュースを一気に喉へ流し込んだ。布団に入り、眠り、目を覚ませばそこには朝の光景が広がっているだろう。静かに安らぎを与えてくれる夜とはまったく異なる世界が展開されるだろう。エレナと長い時間話す機会は、この瞬間が最後なのかもしれないと思った。そう考えると、私は親として、この娘のために何か特別な言葉を残してやりたくなった。美しく、役に立ち、胸に留まり続ける感動的な台詞を歌い上げようとした。しかし実際に私の口から飛び出したのはあまりにも凡庸な言葉の群れだった。中学生になったら少しだけ大人だって意識を持つように、困ってる人をみたら助けてあげろ、若いうちの友達は大事にするんだ、部屋を掃除すれば心も綺麗になる。凡庸な台詞ならば裡から無限に湧き出してくるように思えた。エレナはぽつりぽつりと喋りはじめた私の正面でまぶたをこすりつつ真剣に話を聴いており、それが余計に私をみじめな気分にさせた。しかし段々と、エレナと目を合わせながら話しているうちに、これでよいのではないかという気になった。私が吐き出したいのは華美で流麗な言葉などではないのかもしれなかった。私は娘に、誰でも思いつくような退屈で平凡な言葉を重ね、それを先々の時間の片隅に留めておいてもらいたかった。抱えきれないほどの凡庸な言葉を備え、私の顔を忘れた後にでも、周りの人間や放り込まれた世界を新たな眼でのぞきこむことができるのなら、それはとてもよいことであるように思えた。その時ようやく、私が示したかった関わりは示されるのだ。

(P164下段) 

 男性と少女という組み合わせでありながら、そこに介在する感情に一切情欲がない点が私の最も好む点である。これは私の読みだが、おそらく神谷は店長の方を人としても性の対象としても慕っている。晴美はステレオタイプに娘への接近を禁じるのではなく、店長とのプライベートな交流を慎むよう進言したのだ。ここがなんとも憎いところ。

 

それにしてもいい作品と出会えた。私の中ではダントツの一位だが、はたして日本文学振興会は、選考委員諸氏はどう出るのかしら。候補入りしてくれ。。。