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父想う子の儚さ Stromae "Papaoutai"

最近、Papaoutaiばかり聴いている。「♪ウッテー パッパウッテー」というキャッチーなフレーズで脳裡に刻み込まれている方もいるかもしれない。


Stromae - Papaoutai

 歌っているのはベルギーのシンガーソングライターStromae。名前はmaestro(指揮者)をもじっているようだ。

歌詞はフランス語。カラオケなどで歌うのはとても難しい。というか入っていない機種もある。

シンセサイザーが癖になる、どちらかというとキャッチーな曲調だ。ただピアノから入る一番は非常にリズムが取りにくい。

曲調に惹かれきちんと歌詞を見るととても重い。なんとなく幻惑的としか感じなかったPVの意味も歌詞を見れば理解できるようになる。

PVではStromae本人が人形に扮している。Stromaeと同じような服を着た少年がStromae人形の前で踊るというのがPVの概要だ。合間合間に郵便配達の親子などの踊っている様子が入る。

少年はただ踊っているのではない。いなくなった父に向って「お父さんどこにいるの」と叫び続けているのだ。それがPapaoutai(パパどこ?)の真意だ。

人形の前で踊っているのではない。いなくなった父の面影に踊っているのだ。もはや動かない父に「一緒に踊ろうよ」と呼びかけているのだ。

PVを観た方ならわかるだろうがStromaeはいわゆる白人ではない。ルワンダ人である父の血が入っているのだ。その父はStromaeが小さいころルワンダ虐殺に巻き込まれて亡くなっている。

StromaeはPVで「もはや動かない父」を演じているが、歌っているStromaeはむしろ少年の側の立場だ。

親子で仲良く踊る郵便配達人などを見て少年はきっと「なぜ僕のお父さんはいないんだ」ともどかしく思っていることだろう。僕もお父さんと一緒に踊りたいのに、と。

だからこそStromae人形に対し、挑発的を通り越し煽情的とも言えるほど一生懸命踊る。

3サビで少年は念願かなって父と一緒に踊ることが出来る。しかし父が動いたのは束の間、父が乗る車を少年が押し自宅に帰ると、Stromaeは元通り人形となってソファに座っている。

少年が父のとなりに腰掛けるとき、少年も人形になってしまっているのだ。

少年はどこかの段階で父のいる世界に足を踏み入れてしまったのだ。舞台は日本ではないだろうが、父と少年のダンスは三途の川辺で行われていると私は感じた。そして私は涙が止まらなかった。

少年に対し「よかったね」と思う温かい気持ちで胸がいっぱいなのに、こんなに切なくなるなんて。

大長編の映画よりも泣けた。感受性が豊かだと自覚している方は泣く可能性が高いので注意してほしい。