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少女マンガの文学性 ~坂道のアポロン 小玉ユキ~

昨晩「坂道のアポロン」を一気読みした。ジャズを題材とした高校生たちの青春群像劇だ。舞台は1960年代。現代の高校生を語る上で欠かせないSNSは、もちろん存在しない。コミュニケーションツールが限られていることは、この作品の根幹に関わる部分である。もし現代ならこの物語はどうなるだろう、と想像するのも愉しい。家庭内での孤立、人種的マイノリティなどのテーマが散りばめられており、少し陳腐だなあと思ってしまう部分がないわけではなかったが、王道中の王道として誰もが安心して楽しめる作品になっている。

特に主要キャラのすれ違う恋愛模様など、ふとんをかみちぎるほどエキサイトさせてもらった。振り向いて欲しいときにあの人はもう違う方向を向いている。友情も恋愛も家族も、人間関係で「タイミング」はすごくだいじだ。しかし「タイミング」がぴったりと合うことは非常に少ない。すれ違いが生じたとたん、その人との関係が途絶えてしまうことも多いだろう。

私が好きなあの人は私を見ていない、そんなとき。

私は思う。縁がなかった、これが運命だ、と。諦めてしまうことは、実は簡単なのだ。

葛藤の末に「諦める」という選択にたどり着いたとしても、それは「逃げ」だ。

もちろん逃げることを否定する気はまったくない。人生は、あなたの時間は有限なのだ。つまらないことに拘っている場合ではない。

しかしなにもかも諦め、全てから逃げた人には何が残るのだろう。考えてみて欲しい。

家族とのすれ違いが重なり口もきかなくなってしまった。恋人や友達と話が合わないので疎遠になる。

全てから逃げたそのとき、あなたは純粋に孤独だ。

孤独な存在は極めて弱い。逃げるという選択に抵抗がなくなるからだ。

何かを諦め何かから逃げるのは、別のどこかで確実に勝つためだ。

私は闘うフィールドを決めた。そこに時間もエネルギーも金銭もすべて投入する覚悟を決めた。

負けられない闘いなのだ。ふわふわ独りでやってる奴には負けるわけがないのだ。捧げた時間、エネルギー、それらの重みが成果に反映される。

私は「家族」と「親友」だけは決して諦めない。すれ違いが重なり顔を見ることさえ嫌になったとしても、絶対に逃げない。嫌がられても話しかけるし、避けられても近くに寄る。必要だと思えばそっと見守り、心が折れているときには全力で支える。今相手との関係で何が必要か、それを間違えてはいけない存在が、私にとっては「家族」と「親友」だ。薫も千太郎もリツ子も、苦しんで葛藤して、どうにかして諦められない人を見つけてゆくのだ。その姿に人は胸を打たれる。人生のどこかにこの感懐を置き去りにしてきた人は、この作品を通じて取り戻してみてはいかがだろうか。