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第160回芥川賞⑫ 候補作予想「はんぷくするもの」日上秀之、「いつか深い穴に落ちるまで」山野辺太郎(『文藝』冬号)

 文藝賞は2作受賞となった。実は読んだのは昨日で、読んだ直後は日上さんの「はんぷくするもの」がなかなかいいな、と思っていたのだが、一日経って、それほどだったのかな、と気持ちが揺らいでいる。

文芸 2018年 11 月号 [雑誌]
 

 日上さんの「はんぷくするもの」は、ひたすら貧乏な世界で自意識を肥大させきった男が主人公。一日に5人もお客さんが来ないような零細商店を母と営む毅という男が、ツケを踏み倒そうとする常連客にやきもきする話。津波の影響を受けた地域を舞台にしており震災文学のひとつではあるが、そんな風にひとくくりにしてしまうのも違うような気がする。選評で斎藤美奈子さんがうまく言葉にしてくれていた。

 とはいえ小説は症例集ではないわけで、重要なのは店舗も住まいも <どちらの建物も仮設だった。プレハブ店舗は借り物だし、見なし仮設の家は親せきから譲り受けたものだ>という環境に主人公がいることです。津波で家を失って「仮設」で暮らす毅は思考も「仮説」にならざるを得ない。仮設と仮説。足元が定まらない「仮」だらけの不安な日常を、ここまで明るく書けるのは、やはりひとつの才能でしょう。震災後文学という枠を超えた作品だと思いました。(P171)

 常に確かな思考をせず、凶兆などに心奪われろくに行動できないもどかしさ。思弁ばかり立派で結局何も行動できない頭でっかちな人間には深く刺さる物語だった。だから読後は「おおっ」と思ったのだろうが、それ以上に何か考えたりすることはなかった。だから悪いというわけではないが、軽い物語の部類には属するだろう。

 私は軽い物語は大好物だが、軽いだけでは物足りない。何か「好き!」と思わせてくれる要素が欲しい。これは完全に好みの問題となってしまうが、笑いのセンスであるとか、人生折りに触れて思い返す重要な台詞とか、あとあとまで爪痕を遺してくれるような物語を求めているのだ。

 その観点から述べると、もうひとつの「いつか深い穴に落ちるまで」はさらに物足りなかった。かなりおおざっぱな戦後史を底に敷き、地球の裏側まで穴を掘るという取り組みを描いている。しかし建築的にいったいどうやって諸所の問題を解決したのかなどはあえて全く書かれておらず、そんなところに拘るなという作者からのメッセージだと受け取ったが、読者としてはやはり気になった。ところどころ面白いな、と思うことはあっても、生涯を通じて二度と読み返すことはないだろうな、という類の物語であった。私が手に取る作品のうち、9割は二度と読み返すこともないと思うので、この作品だけわざわざ取り立てて述べるのは恐縮であるが、本当にそう思ったのだから仕方ない。

 例えば黒田夏子さんの「abさんご」のように、腹立ちさえ覚えるほどの駄作であれば、自分の読みが間違っているからかもしれないとか、時間を置けば体調が変われば読み方も変わるかもしれない、と再読のきっかけを設けようともするのだが、なにひとつ爪痕を遺してくれない作品は、本当にもう二度と読む必要はないな、私の人生と交わる必要のない作品だったんだな、と思っておしまいにしてしまう。

 

 というわけで、この2作は候補には上がらないだろう。どうやら『新潮』に掲載された町屋さんの作品がいいらしいので、期待を込めて次に取り上げたいと思う。