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第160回芥川賞⑪ 候補作予想「いかれころ」三国美千子(『新潮』11月号)

今月号は各紙新人賞の結果発表でにぎわっている。北条氏の作品を取りあげた際にも書いたが、昨年度の芥川賞157回158回は通算3作の受賞作が出て、全て文芸誌主催の公募型新人賞の受賞作であったという豊作(あるいは不作)であったのだ。流れと言うのは案外無視できない力を持っており、実際北条氏の群像新人賞受賞作も一定の力量を評価する声はあった。それ以外の要素で芥川賞には圧倒的にふさわしくないと判断されてしまったようだが。

そんなわけで今月号の文芸誌各紙は芥川賞も視野に入れた、というかビンビンに意識したうえで新人賞を発表しているのではなかろうか。特に今回取り上げる『新潮』は狙っているに違いない。180枚。繰り返すまでもない。芥川賞ドンピシャである。

 

新潮 2018年 11 月号

新潮 2018年 11 月号

 

 

 障碍や部落差別、ムラ社会など人間集団のイヤな部分が濃い作品であった。それを子どもであるなこちゃんの目線から捉えているところに試みとして新しい部分があったのかもしれないが、私はむしろその点を巧みだな、と思ってしまった。正面から差別意識を取りあげるだけなら、作中に出てくる志保子さん(結婚しない叔母さん)を主軸にした方がわかりやすかっただろう。しかし子どもを主人公にすることで距離が置かれ、イヤな部分の濃さや醜さが際立っていた。さらに私としてはこちらの旨味の方が大きかったのだが、ひとつのイヤな部分だけにしぼらずにいろんなイヤさが取り上げられていて、本質的にはどれもイヤなものという点で変わらない、という風に感じられた。幼稚園のおゆうぎの時間、疲れてしまった園児たちがダレてきたところへ先生が、疲れた人は座ってなさい、頑張れる人は頑張って、と言ったので、なこちゃんは素直に座った。すると立ったまま頑張っていた子だけを室内に連れ戻し、座ってしまった子を罰としてしばらく屋外に放置し、室内に入れるときにはお説教までしたというのだ。なこちゃんはこの仕打ちをだまし討ちだ、と感じて二度と許す気にはならない。しかし同級生のいじめには屈しなかったなこちゃんだが、立場の違う先生に対しては膝を折る経験をしたのであった。

 だまし討ちだった。女の子たちには面と向かって「いや」と言うことができても、先生という存在には意見を言う術がなかった。練習をするのが嫌だと思って座っていた子供たちはみんなぼんやりと顔を見合わせた。どうしてこんな仕打ちに遭うのか誰にも分からなかった。それは子供たちに防ぎようのない暴力で、指導という正しさの名のもとに行われる分性質が悪かった。末松流に言うとやくざなやり口に他ならなかった。

 後から戻ってきてやる気のない子供にお説教をしてから教室に入ってよしと言った先生を、私は二度と許す気にならなかった。

(P46)

しかしこの作品の白眉は、本当はなこちゃんの母親である久美子だと思う。人間として結構な欠陥があって(まさに「いかれころ」)、終盤の畳みかけは読んでて目が覚めるような思いだった。正直に言って面白いとは言いながら読んでいる途中眠たかったことは付記しておく。しかしそれでも最後の部分は目が覚めたのだ。

芥川賞にノミネートされる可能性は大いにあるだろう。受賞を強く願うことはないが、受賞してもおかしくはないんだろうなあ、と思う。