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第160回芥川賞⑤ 候補作予想「平成くん、さようなら」古市憲寿(『文學界』9月号)

久しぶりの更新になってしまった。

わざわざ申し開きをする必要もないだろうが、私はこの候補作予想をするにあたって、文芸誌を購入することはほとんどない。前回の第159回のときは松井周さんの「リーダー」があまりにも素晴らしかったので『文藝』夏号を購入したのみである。基本的には近くの大学図書館で読んでその場でこのブログの記事もまとめている。

ここ二か月ほどは遠方をうろうろしていたのでなかなか図書館に行くことができなかった。芥川賞に関係のない本はいろいろ読んでいるので読書勘は鈍っていないが、久しぶりに文芸誌に触れて胸の高まりを感じた。一般には変態と呼ばれる人種。

 

そんなお久しぶりの更新でかなりのアタリを引いた。古市憲寿さんの「平成くん、さようなら」をつい今しがた読み了えた。

 

文學界2018年9月号

文學界2018年9月号

 

 

 平成が始まる日に生まれた平成(ひとなり)くんは事の成り行きで文化人として時代の寵児となる。187㎝もある身長、重たい前髪、ドリスヴァンノッテンやメゾンマルジェラといったブランドに身を包みUBERスマートスピーカーを使いこなす彼を、世間は「平成(へいせい)くん」と呼ぶ。語り手はそんな平成くんと同居する愛という女性である。

物語は冒頭から風俗にまみれている。ZOZOTOWNの前澤社長まで登場する始末で著者が時代の中心で発信し続けている文化人であることに思いを馳せずにはおかない。これまで私は、小説は時代に左右されずどんな時代にも楽しめるものこそ素晴らしいのだ、と捉えてきた。

この作品は今読まなければ古臭く感じられてしまう。来年でももう遅い。物語の最後は改元される前日である来年の4月30日なのだが、少し未来の世界まで書いているからこそ、これだけ時代性の強い作品でも読者を白けさせることがない。同時代性の強い作品は一歩間違えれば新しいモチーフを登場させたいだけの駄文に堕してしまうものだ。本作ではそのようなリスクも侵しながら、今書く必然性を強く感じさせてくれた。この時点で私にとっては出会えてよかった作品だと言える。

 

どうも私は小説を読む際に、主題をないがしろにして物語の構成の仕方や文章表現の方にばかり気を取られてしまう傾向にあるようだ。この作品ではまだ30にもならない平成くんが安楽死を望み、愛が悲しみ怒る。最終的に平成くんは記憶の中で生きていくことを選ぶ。彼の選択を愛は受け入れる。物語の最後の場面は未読の方のためにも詳細は控えるが、そんな彼らの判断がどういう意味を持つのかを、小説ならではの「余韻」という手段を用いて読者に訴えかけてくる。主題と表現技法が結びついているからこそ、本作は力強いのだろう。

 

私はこの作品が芥川賞を受賞するのであれば、作者と選考委員諸氏に惜しみない賛辞を贈る。候補入りに関しては、又吉さんの前例を鑑みても十分に可能性があるとみている。