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小品「失敗」

 自転車の外装チェーンがズボンのすそを噛みちぎる。ヒッピー、あるいはホームレスのようにずたずたなズボンのすそと、走行不能な自転車のふたつを私は持て余す。朝から予定外に時間を浪費し、そして濫費することが確定した。今朝はただでさえ小寝坊をかましてしまい余裕がないのに。

 いつもなら一日の始まりに必ず眺める天気予報も今日はおざなりにしてしまった。空模様は怪しい。傘は持っていない。

 考える。ここから仕事場までは自転車で二十分。現在地の最寄駅から仕事場がある駅までは電車で七分だが、ここから駅まで歩けば十二分はかかる。そもそもズボンのすそがびりびりに破れてしまっており、仕事場までに調達する必要がある。

 考える。タクシーを捕まえ家まで帰り、運ちゃんに待っていてもらい職場までまた乗せてもらう。道路の混雑具合にもよるが、これなら全部で二十五分あれば大丈夫だろう。現在八時二十分。朝礼は八時五十分。なんとかなる。

 しかし現在地は住宅地のど真ん中であり、空車のタクシーなどまず通らない土地である。接待時によく利用するタクシー会社の番号なら私の灰色の脳細胞が記憶しているが、ここに到着するのにどれくらい時間がかかるのだろう。未知数だ。

 こういうときはとにかく行動あるのみ。まずはタクシーを呼ばうため電話をかけたいところだが、携帯可能な形態の電話は携帯しておらず、民草に開かれた存在である箱型電話機はすでにその役目を終え社会から駆逐一掃されてしまった後であった。

 考えた。こういうときは極限までリスクヘッジをしながらその瞬間にできる最大限の努力を惜しまないことが肝要だ。自転車を押しながら常に周囲を警戒し、空車のタクシーが通ったらばすかさずこれを捕まえ、駅までたどり着いたならばそのまま速やかに出勤を遂行する。替えのズボンを取りに帰ることは難しいが、更衣室に放置されている誰かの服があるはずなので大丈夫だろう。よし、これでいこう。

 揚々と歩き始めた私の鼻孔をくすぐる湿気。空気のにおいが強まったかと思うと大きな粒が次々と世界を濡らしてゆく。豪雨。メガネの先の視界は水滴の彼方に消えてゆき、前後左右も不覚。世界との隔絶に誘われ私は小宇宙を彷徨い出す。雨中に夢中で不注意のあまり対向する自動車の存在に気付くのが遅れる。意志を持った鉄塊こと自動車は、これこそ我がraison d'êtreだと言わんばかりに警告音を発する。

 衝撃。それは最大級。魂は半分あくがれ、身は不能に陥るほどに引きちぎられてしまったー

 ならばこの世のさまざまに対してあきらめがつき楽なのだが、すんでのことで危機を回避した四肢五体に瑕瑾は見当たらない。

 私は鉄塊と互いに憎しみの籠った今生の別れを済ませ、再び駅へと向かう。全身濡れそぼっているうえ、裾がびりびりの状態で出勤しても私は受け入れてもらえるのだろうか。

 幸い雨はいくらか弱まってきた。しかしすでに時計は八時三十五分を指している。完全に遅刻が確定している。一刻も早く会社に連絡をしなければならないのに連絡手段を持たない自分が恨めしい。

 しかし人間、窮地に追いつめられれば妙な発見をするもので。窮鼠といっても所詮は鼠畜生、猫を噛むくらいしか思いつかないのであるが、窮すれば通ずとはうまく言ったもので、人は貧すれば鈍したのち変して敏するものらしい。ここは住宅地。周囲には人っ子ひとり見当たらないかに見えるが、家屋の外壁一枚を隔てた先には人間がいれば、電話も存するのが道理というものだ。幸いここは日本であり、私は日本語を母語とする日本語話者であるので、日本語による交渉には(諸外語による交渉よりも)長けているというアドヴァンテージを有している。

 善は急げと目の前のピンポンを鳴らしてみた。いくらか弱まった雨音に、「♪タリラリラリン、タリラリラ」というなにかの符牒のようなピンポンが五度掻き消された後に私は悟った。そこは留守。完膚なきまでに留守であった。

 しかし今の私は善へ急ぐ人。次の家を訪ねるなどまどろっこしくてやっていられない。

 幸いにもそこは日本的近代建築の粋を極めた狭小邸宅。混凝土の垣が家のぐるりを囲っており路傍の愚鈍な通行人どもは中の様子には気付かない。しかし急いては事を仕損じるため、冷静に突入経路を検討する。

 ひとつは正面突破。玄関をどうにかして破るというありふれた手法。しかしいまの私では用意が足りず難しそうだ。

 ひとつはベランダからの突破。雨戸は空いているがガラス戸は閉ざされたまま。岐阜の田舎ではこんなことはないのに世知辛いものだ。だいたい玄関だって縁側だって閉ざすという文化が存在しなかった。蜂が入ろうが蛇が入ろうが爺が入ろうが開け放ったままだった。思春期を迎えるまでは家に帰れば「ただいま」と律儀に声を掛けていたが、返事をするのはたいてい勝手に上がり込んで茶ァを啜っている爺か婆だった。爺婆はせんべいやあられなどを小袋の中でていねいに砕いてから食べていた。私にはそのうちのひとかけらだけ寄越した。そのせせこましさが理解できるようになった思春期の私は、すでにせんべいに対する興味を喪っていた。同級生らと揚げパンやドーナツなど、挙げた小麦粉を盛んに摂取していた。おかげで面皰が顔面に大量に吹き出した。爺婆どもは私の顔面の尋常性挫創を目ざとく見つけると口をそろえてつぶせつぶせと囃し立てるものだから、私は一生懸命につぶすようにしていた。そのうちクセになってしまい、勉強中など頬杖をつくたびに触るそれらを指先でいじり、しまいには爪を立てて白い芯の部分を抽出していった。すると少量の出血が見られたのち透明な液体がしばらく滲むのだが、私は処理もそこそこに空気に晒して乾くのを待っていたためにかぴかぴになった顔面の衛生状態はWHOも匙を投げるありさまだった。

 背後に人の気配。振り向くと痩せた女性が小さな子どもを抱いて立っている。どうやらこの家に住む婆と孫らしい。上の孫を幼稚園のお迎えバスまでお見送りに行った帰りだろうか。どれくらい見られていたのかはわからないが、私はふと考え事をしていただけだという素振りで速やかに立ち去った。壊れた自転車を伴っているため、それは想像以上に速やかではなかったのだが。

 角を二度曲がり公園に差し掛かった。屋根のあるベンチが目に付いたので立ち寄る。リーン、ゴーンと楽しさの底に懐かしさと死を感じさせる音色が響き、慌てて腕時計を見ると、時刻は九時を指していた。 

 私は取り返しのつかない事態に陥ると、その事態が起こる「以前」か「以後」かに分けて考えてしまう。きのうチャーハンを食べたときは以前、婆に見つかった時点は、たぶんすでに以後、そんな風にすべての物事を二つに分けて考えてしまう。そこには意味などないけれど。