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文学者になりきれず周縁部でおまつりさわぎをするの巻

第160回芥川賞④ 番外編Ⅰ 直木賞候補作予想『不在』彩瀬まる(角川書店)

彩瀬さんは2010年にR-18文学賞でデビューし第158回の直木賞候補にも挙げられた中堅作家である。前回直木賞の候補になった『くちなし』は読んでいないのだが、世評によると幻想小説であり、『やがて海へと届く』という作品で野間文芸新人賞の候補になったこともある一癖ある作風だと小耳にはさんだ。

しかし今回取り上げる『不在』は、愛を求め続ける孤独な大人が描かれた、大衆文芸としてかなりきちんとまとめ上げられた作品だ。

不在

不在

 

主人公は漫画家だ。創作を行う主人公という人物造形は珍しくもなく、むしろまたか、と鼻白んでしまうところだが、この作品では漫画家というアイデンティティが作品の根幹にかかわる部分をさりげなく支えていて必然性を感じた。

主人公は祖父の代からの医者の家系であったが、幼いころに両親が離婚し家を出ている。父は祖父の跡を継ぎ医院を運営していたが、特に音沙汰はなかった。そんな父が亡くなり、遺書には、医院をしていた屋敷を遺産として託すとの文言。仕方なく主人公は屋敷というあまり愉快ではなかった家族を収容していた箱と向き合う。

本作は愛されなかった人がどう人を愛してよいかわからず苦しみ続ける物語だ。

「(略)明日香が欲しがっているのは忠誠だ。それがあんたのなかでは愛なんだ。首に縄をひっかけられる奴じゃないと安心できないんだ」

(中略)

冬馬がなにを言っているのか、本当に理解できない。好きな人に好かれたいと思うことが変だと言われる。冬馬も、兄も、緑間も、頭がおかしいのだろうか。どうして言葉が通じないのだろう。

(P185) 

愛という名の呪縛で愛する人を縛り付けないと気が済まないのだ。それは今まで穏やかな愛に包まれて生きてこなかったから。悲劇だ。

「明日香ちゃんは漫画家だからなあ。ロマンチストだ」

「えー」

「僕は、愛とか、愛情とかっていう単語に出会うたび、白くてでっかいなめくじを想像する」

「......ええ?」

「愛っていうのは、気持ちの悪い言葉だよ。使われるのは基本的にそうじゃないものをそう見せようとするときだ。そしてその意味はどれだけ表現を変えたって、突き詰めれば誰かに干渉したいってことだ。その欲望が人生を悪い方に引っ張ったって、ぜんぜん驚くことじゃない。(後略)」

 (P208-209)

智さんという叔父は主人公に重大な気付きを与える。

この後主人公は徐々に現実を受け容れ、自分の何が問題だったかを認められるようになっていく。その過程で、自分を縛り付けていた家族、どんなに愛されたいと願っても決して手放しで愛してくれることのなかった家族とも訣別する。それは過去を断ち切るという意味であり、とても前向きなことだ。

以上が大まかな物語の筋だが、細部に目を凝らしても本当にうまい小説だ。

主人公が愛に飢え人を傷つける様子は、主人公の父と影が重なると描かれている。その主人公が父の幽霊を思わせる少年と、あの日したくてもできなかったこと、一緒に歌を歌うことを成し遂げる。その経験を経て主人公は本当に家族の呪縛から解き放たれる。

 

誰の人生にも間違えてしまうときはある。そんなときは意地を張らずに、どれだけはやく、どれだけまっすぐに、自分と向き合うことができるか、自分を認識することができるかが肝要なのだと、この小説に気付かされた。

 

短いながらもかなりの力作だった。候補入りは疑うべくもない。この作品は直木賞を取って然るべきだろう。