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文学者になりきれず周縁部でおまつりさわぎをするの巻

無償の愛の重さ 〜かがみの孤城 辻村深月〜

端的に結論を述べる。

 

とても良い作品だった。

 

学校へ通えない子ども7人に与えられたかがみの中のお城。「城にはなんでも願いが叶う鍵」があり、彼らはそれを見つけようとする。

 

導入からしてファンタジーである。ファンタジックな世界設定も嫌にならず読み進められるのは、著者の文章がきっちりツボを押さえられているからだろう。

 

 

 

かがみの孤城

かがみの孤城

 

 

 

※注意:以下、ネタバレを含む

 

 

すでに読み終えた方はご存知の通り、この作品には大きな企みが凝らされている。

時事に触れるものは極力排除されていて、かえって読者は途中で「時間軸が違うのでは」と邪推してしまう可能性がある。その邪推を持っていれば、マサムネの「パラレルワールド」説に対して「違うだろー」と訝しみながら読み進めることになる。はたしてオオカミ娘ちゃんは「まったく的外れ」とバッサリ。やっぱり。

 

でもマサムネが最新のゲームしてても誰もツッコまないなあというところは気になった。「あんまりゲームしないからそういうものか」ってスバルくん、仮にも工業高校行こうって人がその時代感覚じゃマズイ。

 

ただそんなのは些細な問題であって、大勢としての物語の完成度には影響を与えていなかった。

時間を超えて集められた7人、おおかみと7匹の子やぎになぞらえ秘密の鍵は時計の中に。

モチーフに必然性を持たせて関連づけるあたり心憎い演出だ。

 

というのは作品作りのうまさのこと。

この作品を読んで私は親からの愛の重さに窒息しそうになった。私も恵まれた家の子だったので、親からは抱えきれないほどの愛情に満ち溢れてすくすくおおきになりまさったわけだ。

常識で捉えると、これは、もちろん、幸せなこと。

アフリカの、東南アジアの、発展途上国の、恵まれない子どもと比べて。

 

違う。幸せって絶対的なものだ。私が幸せだと言い切るときだけ、私は幸せなのだ。

親からの愛は無償だけど、子の側はその裏に期待を読み取る。

期待に応えられないという予感はすなわち恐怖となる。

うーん。これは愛の無償性を信じられていないということなのだろうか。

世界の厳しさなんて知らなくても、生まれたときから無償のものなんて存在しないと肌に沁みて察知する敏感な子もいるのだ。

 

そんな子にとって、恵まれた生活が首を絞めるという皮肉は理解されないだろうか。

敏感な子は爛漫な子を羨む。親の愛に明るく答える彼らを羨む。

期待に応えるために、さまざまな良い子、親が認める自慢の子を演技しようとして仮面舞踏を演じる。

演じる、と言ってもうまい役者ばかりではなく、大きな挫折を味わう子の数はかなりのものだ。

子の狭い世界において、大きな挫折は死を覚悟するほどのものである。

敏感な子は、一度死ぬ。死んだ後生まれ変わりとして大人に成る。

 

そんな、因業な子の成長について、否応なしに考えることとなった小説だった。