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第159回芥川賞⑦ 候補作予想「羽衣子」木村紅美(『すばる』3月号)

木村さんは前回の芥川賞でも候補入りしていた。

 

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 前作では概ね佳作だとの評価を得ながらも、受賞へと突き抜ける力は足りないとの評が下された。

私は前作を読んで

端的に言えば、作品世界がきれいに映像化できた、という点が大きい。言語遊びのような作品にはそれとしての面白さがあるが、それはよほどの手練れによらない限りただの「ゲージツ」として、「一般人」は自分の埒外に存在するものとして、触れないようにしようとするだろう。この作品は、小説ならでは、文章ならではの描き出し方がなされているという点で、すでに小説としてのうまみは十二分にある。 

 と感想を述べており、この作者には期待を寄せていた。

しかし、今作は短編だったこともあり、水のようになんの味もない作品になってしまっていた。

 

すばる2018年3月号

すばる2018年3月号

 

 

近年の芥川賞のトレンドとして、短編よりも中編、短くとも100枚以上の作品が受賞している。候補入りするものも100枚を下回るものは多くない。

トレンドから鑑みても「羽衣子」のような短編は候補入りすることは難しい。

 

芥川賞が中編に偏っている理由はなんなのだろうか。

扱う主題が短編には収まりきらないのかもしれない。しかしそれ以上に、冗漫に書き連ねることに無自覚な書き手が多くなっている気がする。中編という長さを過不足なく活かし十全に語り尽くした作品と並んで、短編に収めて物語のその先の広がりを読者に意識させてこそ完成すると思われる作品を冗漫に引き伸ばしただけのような作品が挙げられているのが、近年の芥川賞である。

 

しかし、短編向きの主題=小粒ということではない。「羽衣子」は小さな文章を小さくまとめきったように感じられた。白鳥が人間に化けているというファンタジー設定一点突破といった趣で、その設定も十全に活かされているのか甚だ疑問が残った。読後になんの感慨もなく、インターネットに散らばっている雑文となんら変わらないと感じた。文芸誌は紙面が余っているのかと勘ぐりたくなるような出来栄えだった。次作を期待する。