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文学者になりきれず周縁部でおまつりさわぎをするの巻

雨と反抗期の思い出

普段私が文章を書くのは、平穏な生活が過ぎ去る時の中で自分に芽生えた何かをこの世に残しておきたいと思うときだけである。

しかし今回は何もないところから無理やり文章をひねり出してみた。4000字弱、何の内容もない文章を書くのは何かの訓練にはなったと思う。

 

窓の外を眺めると雨が降っている。

私は中学の3年間だけ、条件付きで雨を愛していた。バスケ部の外練がある水曜日と木曜日だけは雨が降ると歓喜していた。

私は運動神経を母の胎内に置き去りにしてきたため、走る投げるなど一般的な運動行為がまともにできない。そしてそれゆえ運動行為全般をひどく厭悪している。

なのに血迷って中学時代はバスケ部に入ってしまった。あまりにも浅はかであるが、バスケットボール以外に小学校のころ遊びででも体を動かした経験がなかったのだ。(それ以外にも水泳と少林寺拳法の経験はあったが部活がなかった)ちなみに文化部はほとんど機能していない学校だった。今の私なら迷わず何の部活にも入らないのだが、中学生の頃の私は今よりいくぶん素直だったため、大多数が何らかの部活に所属するなら私も、ということでひょいと友人を誘って入部してしまった。

入部してすぐに気付いた。自分はここでやっていけない。バスケットボールには走る投げる等の行為をする前に、見極める判断するなどの行為が必要で、身体を動かしながら脳も回転させなければならない事態に私は完全に混乱していた。運動神経は身体の方の問題ではなく、身体を操る頭の方の問題なのだ。私は身体以前に頭の方でバスケットボールについていけなかった。走りながら状況を確認し然るべき行動をするためにまた走る。死ぬる。友人の一人K君はバッシュも買わずに辞めた。賢明だったと思う。

余談だが、私は今でも状況確認というものがへたくそである。すでに400冊積読本があるのに日に平均して3冊ずつ古本を買っている。いつか床が抜けてはじめて状況を確認するのだろう。床が抜けても状況を確認できない底抜けの無頓着なら幸せなのに。

バスケットボールは屋内スポーツのため、体育館での練習が本質である。しかし他の部活(バレー部とハンドボール部、そういえばバレー部は女子しかいなかった)との兼ね合いで週に2日だけ体育館を追い出され運動場の片隅で練習する日があった。これが水曜と木曜である。

外練は体育館での練習に比べてはるかに”気”楽であった。そうなのだ。私はバスケットボール部の練習で何が辛かったかと言うと、プレーのさなかボールを預かっている瞬間のプレッシャーが嫌だったのだ。プレッシャーを背負いながら状況を確認し判断し運動行為をすることは、私には目隠しをしながら細い綱の上を一輪車で渡るのと同様の曲芸としか思えなかった。しかし外練ではシュート練習以外はほとんど基礎体力を向上させるための練習であり気楽だったのだ。”あれ”を除いて。

”あれ”とは「スリーメン」である。バスケットボール経験者ならご存知かもしれないが、スリーメンとは読んで字のごとく3人で取り組む練習である。3人でパスを回しながらコートの端から端まで走ってシュートをする。ドリブルは禁止。至極簡単に思えるが私にとっては曲者だった。

単なるスリーメンなら私もなんとかこなせた。しかし「韓国式」と呼ばれる悪魔のスリーメンがあったのだ。

韓国式はパスの仕方が複雑なのだ。うまく思い出せないのでインターネットで検索したがひっかからない。どうやら韓国式とは名ばかりで、わが校独自の文化だったようだ。その韓国式になった途端、私はあたふたしてしまいパニックを起こす。それでも時間をかけ、なんとかパスの仕方を体得したのだが、韓国式の場合はシュートを決めるまで終われないという決まりがあったのだ。外すとずっと繰り返しやり続けなければならない。これが辛い。ただ走り回るだけの辛さなら身体的に自分が耐えればいいのでなんとか頑張る。しかし何より辛いのは「いつまでやってんねん」という周囲の目である。私は部長と全くそりがあわず、人生を振り返ってもこの部長以上に合わない人は思い浮かばない、その部長ににらまれると身がすくんでしまい何も考えられなくなるのだった。これが精神的に耐えられない。二度とやりたくないと思っても定期的に韓国式はやってくる。

そんな私にとって、外練の日に降る雨は神の恩寵だった。「恩寵の雨」というヒット曲があってもいいと思った。往年の名曲として昭和歌謡の歴史に刻まれているだろう。森進一あたりが歌っているはずだ。濡れた街路で抱き合ういけない男女の恋慕を高らかに歌い上げる森。

雨が降ると外練は校舎内ダッシュに変わる。校舎内を5分区切りのタイムスケジュールに合わせダッシュしまくるという劇的に人迷惑な行為である。

中学生としては老成した神経を持っていた私は、校舎内を走る行為に何ら感興をそそられることはなかったが、部長は案外かわいいところがあり、校舎内ダッシュとなるとテンションがあがっていた。へらへら全力疾走するさまは、さながら駄犬であった。

部長が気をよくしているときは私も混乱をきたすことはない。落ち着いた精神のもと、全身全霊で取り組むことができた。こんなに充実した練習はなかった。

校舎内ダッシュ以外は常に部長の顔色をうかがいながら参加していたのだから疲弊するのも当然だった。死にたい日々だったが、同時に部長が死ねばいいとも思っていた。殺すぞ、とは思わないが、死ねばいいとは常々思っていた。

 

しかし高校に進学して事態は急変する。

念願の自転車通学をすることになったのだ。

中学は徒歩5分という地の利によって自転車通学は妨げられていたが、高校は自転車で山あり谷ありの道を7.5㎞越えていかねばならないのだ。毎日峠を越えるたびに山賊に怯える日々。

もちろん二度と同じ失敗はしない。どこから情報を得たのか知らぬが、私が中学時代バスケットボールに従事したことを聞きつけた私の知らない誰かがへっらへら寄ってきてバスケットボール部に勧誘してきたが、断固拒否した。

彼は完全に私が嫌いな”バスケットボール界隈の人間”だった。

髪の毛を遊ばせる、態度が横柄、不細工なのにモテようというオーラが全開(結果ブスと付き合う)、腰パンが極まり原色ピンクのパンツを見せている、など悉く特徴を有していた。

もちろんモテる気もなく一人が一番楽だなあなんて思っている非生産街道を驀進する私などよりは幾分人間としてマシなのではとも思うが嫌いなものは嫌いだ。

そして卓球部に入った。怠惰な仲間たちとぬるま湯の3年間を過ごしたことに私は満足している。

この怠惰な日々において、雨はひたすら目障りだった。

峠越えにあたっては雨は命取りだ。屹立する坂はコンクリート舗装がされたばかりで水気をよく弾いた。激しい雨が降ったとき、坂はさながら滝のようであった。傘を差しながらの自転車での滝登りには、まさに命をすり減らしている実感があった。(雨合羽は置き場に困るので着て行かなかった、いや本当を言うと高校生にもなって雨合羽なんてカッコ悪くて厭だったのだ、かわいいね思春期)

恩寵だったはずの雨が、ひたすら厭悪の対象になった。

反抗期みたいなものだ。私も雨に対する反抗期を迎えた。時期が来ただけだ。

私はひたすら雨を罵った。一昔前に「日本死ね」という素敵なフレーズが世間をにぎわせた。なんてワイドなものを呪うのかと畏怖したが、私が呪った対象はもっとワイドな、遍く世界を濡らす”雨”だった。

雨を呪う日々が始まった。かと思ったが、実はすぐに雨に慣れてしまった。風に負けない傘の持ち方(親指で傘の柄を押さえるだけ、めちゃくちゃ親指は痛いが安定する)をマスターしたおかげで、心を無にして走ることが出来るようになったのだ。

これは反抗期と照らし合わせて考えると危険だ。親に対して歯向かって生意気言っている間はまだ決定的に道を踏み外す恐れは低いが、ついに親と口も利かなくなったら破滅は近い。夕ご飯を一緒に食べながらいろいろ喋っていた日々も今は昔、夜遅く帰るようになっていたのが朝早く帰るようになってきて、気付けば口を利かないどころか数日子どもの顔を見ていないという状況になるにはそう時間はかからない。

雨の場合はどうだろう。たまに顔を合わせても雨と口をきかない。顔を合わせてもおはようとも言わない。雨はこのところ中年にさしかかり更年期障害を発症した。夕方になるとヒステリーを起こし勢いよく泣く。いわゆる夕立。しかし私は顔を合わせても碌に口も利かないのでフラストレーションの矛先は夫に向かうのだ。夫は妻の豹変ぶりに恐れをなして冷え固まり雪になる。久しぶりに家に帰った子どもは夕立と豪雪でめちゃくちゃになった自宅の惨状を目にする。反抗期もほどほどに。何を言っているんだ、私は。

雨に対して無関心を貫く私は、実際問題として情緒に掛ける高校生活を送った気がする。実は今では、あれほど厭悪した雨降りの日に、わざわざ散歩に出かけたりする。傘をさして出かけることが多いが、まれに雨合羽を着ることもある。雨の音が好きなのだ。眠る時に雨の音がするのは非常に好い心持がする。雨音には癒しの効果がある。全身で癒されたいときは、雨の中に全身で突入するしかない。全身で雨を感じるとき、私はまさに癒されている。長い反抗期を抜け、ようやく雨のありがたみを正面から受け入れることができるようになったのだ。私も大人に成った。窓の外を降る雨を見ながらそう思うが、やがて反抗期をこじらせた無視期から素直な反抗期に立ち返った私は、今でも雨のなか自転車に乗る時などは「だらぁ赤信号死ね」「こんな日に風なんか吹くなぼけが」と脳内でつぶやきながら濡れそぼった袖を睨むなどして世界のすべてを呪っている。反抗期は終わらない、これまでもこれからも。