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文学者になりきれず周縁部でおまつりさわぎをするの巻

第159回芥川賞① 候補作予想「送り火」高橋弘希(『文學界』5月号)

芥川賞は年に2回発表を行う。今年の7月にある第159回芥川賞選考会では、昨年の12月から今年の5月までに発表された作品が対象となる。候補として発表される作品は5作前後であることが多い。

まだ候補作は正式に発表されていないが(来月発表される作品も対象となるのでまだ候補作を絞ることができない)勝手に予想してみる。

ということで第1回は高橋弘希さんの「送り火」。『文學界』5月号掲載。原稿用紙換算で160枚とのことで、これは完全に芥川賞を取りに来ている。

※誤解のないように触れると、芥川賞は公募ではない。対象期間中に文芸誌等に発表された作品が選考の対象となる。これはきょうだいであるところの直木賞も同じだ。さらに言うと、いとこはとこの山本周五郎賞三島由紀夫賞吉川英治文学新人賞野間文芸新人賞も公募ではない。(こんな賞の名前を知っているのはかなりのオタクだろう)芥川賞はだいたい長くても250枚程度までの作品を対象にするという内規があり、160枚というのは芥川賞のどまんなかをいく長さなのだ。

 

文學界2018年5月号

文學界2018年5月号

 

 

高橋さんは4年前に新潮新人賞でデビューされ、以来3回芥川賞にノミネートされている。あの又吉直樹さんが「火花」で受賞された時も(ひっそり)ノミネートされていたのだ。4年で3回のノミネートだからまあまあのハイペースだ。高橋さんに受賞させたいという引力が働いているのではないかと推測できる。

また今作「送り火」が掲載された雑誌も重要だ。『文學界』は『週刊文春』などで有名な文藝春秋から発行されている。そして芥川賞直木賞を運営する日本文学振興会文藝春秋の社屋内に拠点を構えている。

というわけで芥川賞の受賞作には『文學界』に掲載された作品が比較的多い。『文學界』以外では、『新潮』(新潮社)、『群像』(講談社)、『文藝』(河出書房新社)、『すばる』(集英社)(これらをまとめて五大文芸誌と呼ぶ)に掲載されたものがほとんどだ。『すばる』からはこれまで3作しか受賞作が出ていないが、それは『すばる』が手を抜いているというよりは、既存の文壇には馴染まない紙面作りであると言うのが正しいだろう。五大文芸誌の新人賞の中では、私はすばる文学賞を推している。新庄耕さんの「狭小邸宅」など純粋に読み物としての価値がとても高かったのでぜひ読んでみてほしい。(ちなみに次回はそんな新庄さんが『群像』五月号に発表した「サーラレーオ」を取り上げるつもりである)また最近は『小説トリッパー』(朝日新聞出版)や『たべるのがおそい』(書肆侃侃房)などからも候補作が出ているが、受賞には至っていない。単行本書き下ろし作品などが候補に挙げられることは、まずない。(別に単行本はだめとかそういう決まりはないのだけれど)直近で五大文芸誌以外から受賞したのは、2012年の黒田夏子さんの「abさんご」だ。これは早稲田文学新人賞を受賞し、元東大総長の蓮實重彦さんにも激賞された作品だ。作者が受賞時75歳(芥川賞の受賞者としては最高齢、そもそも芥川賞は新人賞なのだ)だったことなどからメディアにもよく取り上げられていたが、これは読みにくいだけで全く読む価値がない(と私は思った)作品だった。横書き、不自然なかな遣い、いちいち鬱陶しい限りだった。

さて、そんな芥川賞予備知識を備えた私は、読む前から、『文學界』掲載、原稿用紙160枚、候補回数3回、という要素から、すでに本作が候補入りすることは疑う余地がないと考えている。受賞する可能性も高い。

読む前に1000字ほど書いてしまったが、ここからようやく、実際に読んだ感想と受賞予想を行う。

 

 

芥川賞が対象とするのは純文学作品であるが、その大半は何を勘違いしたのか読了するのも苦痛なほど面白くない。この作品もどうせ読むのが辛いのだろうと覚悟して読んだが、意外や意外とても読みやすかった。そして感情を動かされた。

主人公の歩は東京から青森に引っ越してきた中学3年生。父が転勤族であるために新たなクラスに打ち解けるのはお手のものである。そんな歩であるが、リーダーシップがあり集団の中心となる晃が、肉屋の稔を理不尽にいじめ続けるのには違和感を覚える。歩は集団の誰とも適度に距離を置きながら傍観者に徹する。

傍観者である歩は誰も傷つけていないつもりだろう。そしてそれは自分が誰にも傷つけられたくないからだろう。いかなる状況においても歩は核心に踏み込もうとしていないと感じた。それは例えば晃の花札の不正に気付いていながら指摘しない歩。いつも晃は稔が負けるように仕組んでいた。しかし歩は多少のバツの悪さを感じながらも自分が不利益を被らないことがわかっているのでそれを止めたりはしない。

ネタバレというか種明かしになってしまうが、最後の最後で歩は稔にえげつないほど痛めつけられる。これは歩の卑屈な根性に対する仕返しと見ることができる。しかしこれは正しい読み方ではないかもしれない。その証拠に稔は、晃の暴力から稔を救おうとした藤間にも毒を盛ったのだ。

稔の自尊心はすでにねじまがっていたのだろう。晃に痛めつけられること自体は稔の身体を傷つけはしても心には何ら影響がなかった。しかしそのすべてを「かわいそう」あるいはそれに類する箱に収納しようとする藤間や歩の振る舞いには耐えられなかった。歩は何もしなかったと上に書いたが、稔とあまり深く関わらないようにしようと意識的に避けていた。それは距離を置くという意味ではなく、いじめのそれであり、ありていにいえばわかりやすく無視していたようなものだ。本作は歩の一人称で語られており、歩自身は稔を避けていることが稔にばれていないと思っていることがわかる。しかし人間の洞察力をなめてはいけない。稔は歩が避けていることに気付いている。

歩が晃と一緒になって当たり前のように稔の身体をいじめていたら。稔は自尊心を保つことができただろう。深い部分ではさらに心がねじ曲がってしまうだろうがそれは今問題ではない。しかし歩は稔を避けた。そして稔はそのことに気付いた。これが稔を決定的に打ち砕いた。

 

文学技術については明るくないのだが、最後の最後で稔が歩を襲うことで歩の自意識を打ち砕く展開は見事だと思った。

あとディテールを描写する作者だとも思った。

蕪の花の向こうに、集落一帯を一望に出来た。前方に標高五百ほどの黒い山が聳え、その山裾を南西に向かって河が流れる。銭湯からの帰路に、父と眺めた河だ。五十世帯余りが点在している。山間に溜まる朝霧の中に、瓦屋根の民家、三角屋根の銭湯、トタン屋根の燃料店、半壊した納屋、ブルーシートを被せた小屋、骨組みだけのビニルハウス、用途不明の煙突、杉にボルトを打った電信柱、廃校になった学校の校舎などが、朧気に浮かぶ。霧の中から鶏鳴が響く。東の稜線から黄金色の朝日が射し、集落一帯をあまねく照らし始める。すると霧が引いていく。薄闇が剥がされ、日光による確かな影が、煙突や電柱から伸びていく。(P12)

集落一帯についてここまで書くか。選考委員の小川洋子さんなんかと似たタイプだろうか。

傾向としては小川洋子さん、川上弘美さん、山田詠美さん、堀江敏幸さんあたりが積極的に押してくれるのではないかと思っている。ドラゴン村上を頷かせられればいいのだが。

読む前から芥川賞を取るかもね、などと言っていたが読んでその思いはより強くなった。そして取ればいいとも思う。