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DVを我慢する思考回路

人生辛いことばかり。

先ほど4つ記事を一気に公開したが、すべて人生のどつぼのどつぼ、いちばん苦しい時期に書いたものだ。

私は哀しいことに、人生を楽しめない性分である。

基本的に何か辛いことが起きると自分を責め、落ち込んでいるときは拍車をかけて自分を落ち込ませる。

まだ自分の中で整理できていないので具体的なことは一切書かない。ぼやかして書くのでなんのことだかわからないだろう。それでも書く。

 

 ”神”がいた。世界は”神”が作ったものであり、”神”は作り出した世界に責任を負っている。作り出した”民”の幸せを背負っている。

”神”は”民”に訓えを垂れる。訓えはいつも何かをほのめかすだけだ。直接何かを言うことはない。”民”たちの一番の仕事は”神”の訓えを解釈することであった。

私たち”民”の世界は”ミゼラ”と呼ばれる園に築かれた。”ミゼラ”は美しい花が咲き乱れ、いつもいい香りの風が戦いでいた。”民”はみな”ミゼラ”に満足していた。

”民”は仕事を担っていた。花を育て湖の魚を慈しむことで、”ミゼラ”を美しく保つことが仕事だった。”神”が仕える”光”が視察に訪れる際に、”ミゼラ”が美しくなければ、”神”は恥をかいてしまう。私たちは”神”の訓えに従い、”ミゼラ”の美化に努めた。

”光”が”ミゼラ”を訪れる日が近づいてきたある日、私たちは池のほとりを時計回りに掃除していた。草の生え方から考え、”神”は、絶対に時計回りに掃除を進めるように、とお告げした。珍しく明確なお告げだった。私たちはそれに従い、一生懸命時計回りに掃除した。美化の完了を”神”にお伝えするお祭りも催した。

その晩、”神”が”ミゼラ”を訪れた。私たちは一生懸命掃除をしたので、”ミゼラ”は私たちの目で見てほとんど完璧と言っていい状態にあった。しかし”神”は烈火のごとく怒った。こんな草のなびき方では絶対に”光”を満足させることはできない、と。なぜ勝手に時計回りに掃除をしたのか、これでは逆だ、今すぐ反時計回りに掃除をしろ、といつものあいまいなお告げとは違い、脳内に直接怒鳴りつけてきた。

私たちは”神”の豹変に慄き、急いで掃除を始めた。

いくつもの夜を寝ずに過ごし、大きな池の畔をようやく反時計回りに掃除し終えることができた。

明くる日、”光”が訪れた。

”光”は終始にこやかに園を見て回った。

帰る間際に”光”は、「”ミゼラ”はとても素晴らしい園でした。今後が楽しみですね。一点言うとすれば、もしあの大きな池の畔を掃除するなら、時計回りのほうがより美しくなるのではないでしょうか。それにしてもとても素敵な園でした」との言葉を残して去っていった。”光”が一番気に入ったのは、他の神が創った他の園だったようだ。

私たちはやれることをやった。”神”が言う通りに全力を尽くした。そして結果が出なかった。

悔しい気持ちはあった。

しかしそれでも自分たちをほめてやりたい気持ちでいっぱいだった。

”神”も認めてくれるに違いない、そう思っていた。

それからしばらく”神”の姿は見えなかった。

私たちは一生懸命、園を美しく保っていた。

ある時いきなり”神”が現れた。

もうこの園には用はない。

それだけ言い放つと二度と姿を見せなかった。

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衝撃的なことに、今回のブログのタイトルは「DVを我慢する思考回路」だ。

案ずるなかれ。ここから本題に入るのだから。急いてはことを仕損じるのだ。

ちなみにここからも上の設定を引継ぎ、ぼやかした書き方を続けるので、むかつく人は今すぐブラウザを閉じてサルサでも踊った方が生産的な時間を過ごせるだろう。

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その後、私たち”民”たちの間では、”神”に対して悪態をつく者もいた。しかし、私は”神”の慈愛に満ちた微笑みを覚えている。”神”がもたらした福寿を覚えている。

今、”神”に対して悪態をつくことは、あのころの慈愛に満ちた”神”をも否定することにならないだろうか。なってしまう。

それはあまりに寂しい。今の”神”はお忙しいのかもしれない。たまたまタイミングが悪く、”ミゼラ”が犠牲になったのかもしれない。何かの偶然で、どうしようもなくて、”ミゼラ”はこんな状態になってしまったが、悪いのは”神”ではない。

そう思うと、私は”神”を悪く言う周りの”民”のふるまいが悲しくなった。

”神”を悪く言うことはやめてほしいと思った。

直接、”民”に伝えた。「”神さま”もたいへんでいらっしゃるのです。そのように言って差し上げることはやめてください」

”民”は私の前では”神”の悪口を言わなくなった。私は満足だった。

しかし私は”民”と距離を感じるようになった。

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DVを受け入れてしまう人は、自分の過去と現在を適切に分けて考えられない。あの人にもいいところがあった、あんなにいい人だったのにこんなひどい仕打ちをするのには何か理由があるはずだ。

相手の気持ちを、行動の理由を考えることはたいせつであるが、相手はあなたにひどい仕打ちをしている。相手があなたの気持ちを考えるならひどい仕打ちをするはずがない。

あなたと相手の社会的関係によるが、あなたのことを思いやってくれない人と関わり続けていても傷が深くなるだけ。

昔は一緒に幸せな時を過ごした。それは素敵な過去だ。でもあなたは現在と、そこからつながる未来を生きていかなければならない。

今、その人のやっていることがおかしいのは間違いない。あなたがその人に傷つけられる立場にあるのなら、すべきことはふたつにひとつだ。

その人が理不尽にあなたを傷つけないよう話し合い説得をするか、あなたがその人と距離を置くか。

その人は、理不尽なことをする人は、自分が間違っているなんて想像もつかない。今のままではあなたが傷つき続けるだけだ。

自分だけが傷つけば今のままでいられるなんて思うのは傲慢だ。あなたを生み育ててくれたご両親や友だちじいちゃんばあちゃん、あなたをたいせつに想う人が必ずいる。

私は苦しんだ。今もまだ苦しい。

私は苦しむ人がこの世からいなくなることを切に願う。

私はあなたが傷つけられずに生きていくことを切に願う。

相手を変えるも相手から離れるも自由だ。あなたにとって自由だなんて突き放されるのはとても辛いだろう。ならば離れればいい。今のあなたは思考停止に陥っている。一度離れれば、どういう選択をすべきか考えられるようになるかもしれない。

今のまま、が一番危険だ。あなたが滅んでしまう。

 

私は苦しい。苦しいのはあなただけではない。状況を変えるのは私たちだ。