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去り行くフィーバーに切なくなる

 お祭り騒ぎが去ったあとの風景には限りない哀愁がある。鳴り止んだ太鼓、屋根を下した屋台、漂う火薬のにおい。ほんの半時間前までは太鼓は打ち鳴らされ、的屋は盛況で、数えきれないほど花火が打ち上げられていた。去ってしまえば先ほどまでのフィーバーは幻だったのかと疑いたくなる。フィーバーの最中は別に楽しくない。しかし非日常の高揚感に漂う気持ちは嘘ではない。ただふわふわと、いつもと違う空気に呑まれ揉まれるだけ。いけないクスリのようだ。フィーバーが去った後は大きな喪失感を味わう。できることならもう一度あの非日常を取り戻したいと考える。しかし幻は溶けてしまうから幻なのであり、夢は醒めてしまうから夢なのだ。あの高揚感は、次の夏までお預けだ。

 フィーバーは必ず去り行く。そしてその去り際はとても切ない。

 それは「発熱」(フィーバー)の場合も同じである。

 このところ久しぶりに本格的に体調を崩していた。インフルエンザと診断されてもいつものように、だからなんだと笑うこともできなかった。熱にうるんだ瞳で医者の顔を眺めながら謎の薬を吸引した。丸一日もあれば発熱は収まるだろうという見立ては外れ、都合三日もかかってしまった。幸い実家住まいだったので用事は家族に頼むことができた。それでも臥せても坐っても、もちろん立っても、脳は朦朧とし視界はいつもの三割程度暗く、掠れた声で常に唸っていた。いやうなされていた。うーんうーんとうなされるというのは物語ならではの戯画ではなく本当にあることだ。より正確言うと「hm...」と短い吐息に思わず色がついてしまうような具合。目が熱すぎて閉じていられない日々は三日で終わった。その晩は寝つきが悪く、結局夜中に大量の寝汗をかいて着替えてからは寒気でよく眠れなかった。それでも夜は明ける。依然として不快な寒気はあったものの、昨夜までと比べると完全に頭が軽い。体温を測ると37.7℃であった。昨夜までと比べると極めて平常時に近い状態であり、起き上がり本を読むなど活動を始めた。しかし私は、インフルエンザに感けて誰に連絡もせず所属していたゼミでの活動も一切放置していた。倒れて丸三日、私の作業は滞り全方面に大迷惑をかけていた。こうなってしまっては事態の収拾に多大な労力を要する。それならもう少し熱のまどろみの中にいたい。昨夜までと比較して健康だと言ってもまだ軽い寒気や頭痛は残るし食欲は不振だ。もう一度布団にもぐってしまおうかと囁く自分がいる。煩悶を繰り返し、思いついたように体温を測ってみれば38.1℃と表示された。気持ちの上で38℃台に乗ると立派な病人だと感じる。これは今日も寝てしまった方がいいのではないかと気持ちが偏る。

 発熱状態のとき、何もしなくてよいという免罪符を手に入れた気になる。元来何もしたくない性分のため、これは非常にありがたい。もちろん発熱すれば体力的にかなりしんどく、寒気や発汗など不快なことも多いのだが、それ以上に社会的に何もしなくてよいと認められた存在になることは居心地が良い。赤ちゃんになりたい、と言う人がいるが、この望みは非現実的でかなわないと認識しながら言っていると思われる。ある種のギャグだろう。しかし発熱に対して抱く歓びは完全に現実の世界のものであり、それでいて赤ちゃんになりたいという欲望と同程度、幼稚だ。赤ちゃん返りはせいぜい未就学児までに経験しておくことが望ましいなか、成人した人間が赤ちゃん返りに等しい、しかも現実に実現可能な欲望を抱くというのは、あまりにも自己中心的である。

 それにしても責任を負わなくてよかったころに戻りたい。なぜ私は責任を取ることができないのだろう。母と一緒に近所のショッピングモールに行った日に戻りたい。あのころは弟もまだ小さくかわいかった。まだ歯も生えていない弟と母と私と3人で撮ったプリクラはどこにいってしまったのだろう。あのころはきちんと甘えるべき立場にいた。しかし私は甘えることが下手だった。お祭りに連れて行ってもらっても何もねだらないような子供だった。何も欲しがらないことがいい子なのだと思っていた。すでに一身に両親やその他の人々の愛を十分以上に感じていたにもかかわらず、さらにいい子扱いをされたかったのだろうか。

 子どもの仕事は学校で勉強すること、と言われた記憶がある。おそらく何かしらのメディアからの影響だろう。しかしこれは間違いではないかと思う。私は子どもの仕事は人に好かれることであると思う。己の力で他人からの行為を勝ち取る、という経験は子どものころに癖づけておくと、生きる上でかなり大きな推進力になろう。反対に愛されたいと思って愛されることができなければ必ず鬱屈が蓄積する。

 フィーバーが冷めるときに、私は寂しいと感じる。道具としてフィーバーがないと熱に触れられないからだ。