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文学者になりきれず周縁部でおまつりさわぎをするの巻

第158回芥川賞、直木賞受賞作予想

はじめに

 こんばんは。この度ブログを始める金盥綱子と言うものだ。本名ではない。思いついたので親から頂いた名前には引っ込んでもらった。ブログの名前も七五調にしたいなあとは思っていたのだがまさかこんなことになるとは思っていなかった。まじめに書く気はないんだなと思ってもらえれば結構である。

 一つ目の記事投稿は自己紹介でもするのがよいかもしれないが、そもそも興味もない人間が自己紹介をしてもなおさら退屈だと思うので、自己紹介代わりに明日発表の芥川賞直木賞について書いてみたいと思う。

 読書経験の浅い人間が好き嫌いで作品を断じているので、ここに書いてあることは周りに言いふらさない方がよいと思われる。文学賞のお祭り騒ぎが好きな方の目に留まって「こんな風に思う奴もいるのね」と楽しんでもらえたらと思う。

芥川賞直木賞について

 日本で最も有名な文学賞芥川龍之介賞。その芥川賞と双肩を成す直木三十五賞。このふたつはどっちも有名な文学賞だとは認識されていると思うが、その性質は異にしている。

 芥川賞は新人の純文学作品に贈られる。ほとんどは五大文芸誌である『文學界』(文藝春秋)、『新潮』(新潮社)、『群像』(講談社)、『すばる』(集英社)、『文藝』(河出書房)のどれかに、半年間に掲載された作品の中から選ばれる。明日発表される芥川賞の場合は2017年の6月から11月に刊行された雑誌が対象だ。作品の長さは短編~中編が相場で、ほとんどすべての受賞作が250枚程度には収まっている。柴田翔さんの『されどわれらが日々』などは例外的に長い。当時の選評には「芥川賞は一応短篇小説と言うことになっているので、此の作品は長過ぎる。しかし他の候補作品にくらべて力倆は抜群であると思われるので、特に推すことにした。」(第51回芥川賞石川達三氏の選評より)とあるように、力量が頭抜けていれば評価されることももちろんある。しかし近年では候補作を択ぶ段階で長編は省かれてしまうので、このような例外的な事件は起きにくいだろう。

 直木賞は新人、中堅作家の大衆文芸作品に贈られる。かつては文芸誌に掲載された作品が候補となることもあったが、近年では選考期間中に刊行された単行本が対象となっているようだ。短編連作でも長編でもなんでもよく、ジャンルも純文学よりのものから歴史ものまで幅広い(SFには厳しいようだが)。

第158回 芥川賞直木賞受賞作予想

 芥川賞候補作 5作品

※著者名「作品名」(候補回数)(『掲載誌名』、備考)

石井遊佳百年泥」(初)(『新潮』11月号、新潮新人賞受賞作)

木村紅美「雪子さんの足音」(2回目、第139回以来)(『群像』9月号)

前田司郎「愛が挟み撃ち」(2回目、第137回以来)(『文學界』12月号)

宮内悠介「ディレイ・エフェクト」(2回目、第156回以来)(『たべるのがおそい』vol.4)

若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」(初)(『文藝』冬号、文藝賞受賞作)

 

 候補作は5作出揃った。恥ずかしながら私は3作しか読んでいない。なので完全な予想はできない。しかし私は今回は「受賞作なし」ではないかとにらんでいる。いや、望んでいる。その理由を、読んだ3作品をもとに説明する。

 石井遊佳さんの『百年泥』。この作品は『新潮』が実施する「新潮新人賞」の受賞作である。インドの日本語教室で先生をしている女性が主人公となっている。大洪水の後の大泥の掃除をしている場面から始まり、主人公の日常階層へと入っていく。この作品の中のインドでは裕福な人々は空を飛んで通勤すると語られている。細部まで丁寧に描写されている中で、通勤に大空を滑空するという非現実な描写はとても浮いている。これは新潮新人賞の選評を見ても「マジックリアリズム」を取り込んでいると言われている。私の読解力が低いことが問題だが、じゃあマジックリアリズムはいたずらに読者を混乱させるようなうっとうしい仕掛けなのだろうか。前衛的な試みは新人賞の場では称賛されてしかるべきである。しかし、芥川賞は他の新人賞と比べると影響力や知名度が段違いである。そのような権威ある賞が、このような蛮勇ともいえる試みをした作品には受賞するとは思えない。ちなみに私は混乱しながらも楽しく読んだ。ただ次回作を読みたいとはちっとも思わなかった。新人の溢れる才気というのは基本的に鼻持ちならないものなのだろう。かなりうっとうしかった。

 続いて木村紅美さん「雪子さんの足音」。これは読んでいないのでパスする。インターネット上の評判では私の好みに合っている。できれば明日の発表までに読みたい。

 前田司郎さん「愛が挟み撃ち」。面白かった。あまり難しい表現もなく読みやすいので、できれば何も情報を入れずに読んでみてほしい。書き出しの「4みたいに京子は、一本足で立っている」という表現を取ってみても、著者の捉えた視覚的世界を楽しく表現していることがわかる。ただ、結末に関しては評価がわかれると思う。私は子どもが生まれないものだと思っていたので少し驚いた。受賞するとすればこの作品だと思うが、評価が分かれて過半数の支持は得られないのではないだろうか。

 宮内悠介さん「ディレイ・エフェクト」。これも読めていない。前回直木賞のちりも積もればやまとなでしこ、ではなく『あとは野となれ大和撫子』は登場人物がとても愛らしく展開される世界の広がりを見てもこの作品が受賞するのだろうと思っていた。その前の芥川賞の候補になった「カブールの園」は、著者の持ち味である世界の広がりを十全に活かせなかったという印象だった。世界の広がりをすべて書かなくてもうまく予感させられれば短編にもまとまるのだろうが、それが成功しているとは言い難かった。この著者には期待しているが、戦うべきフィールドは芥川賞よりも直木賞なのでは、と思ってしまう。

 若竹千佐子さん「おらおらでひとりいぐも」。文藝賞を最年長で受賞した本作品。読み始める前に最後の一文をちらっと見たのだが、これは良い小説だと確信した。一切作品に触れていない状態でさわやかな読後感を感じさせてくれた。芥川賞候補作だし、、、と少し気になっている人はまず最後の一文をちらっと見てもいいかもしれない。老境に至って俄然若々しくなるばあさんが主人公である。読んで元気がもらえた。東北弁が多用されているが他地域の読者も疎外されずきちんと作品世界に引き込まれる配慮が施されている。これまで標準語で飾り立ててきた桃子さん(主人公)の思弁が、75歳にして東北弁に回帰しだす。東北弁は桃子さんにとって何なのか。自分で考え自分で生きる。生き方を改めて選択しようとする桃子さんの姿は、年齢にかかわらず若々しい。この作品は分量からいっても力量からいっても巷では一番受賞を有力視されている。良い作品だとは思うがこれは受賞とするにはパンチが足りない。もちろん近年の芥川賞はパンチもくそもない小ぎれいに整った作品にどんどん受賞させているので本作品が受賞する確率は高いと思われる。この著者は芥川賞に足る作品を築けると感じるので、理想としては本作品への受賞は見送ってほしい。

 直木賞候補作 5作品

彩瀬まる『くちなし』(初)(文藝春秋刊)

伊吹有喜『彼方の友へ』(2回目、第151回以来)(実業之日本社刊)

門井慶喜銀河鉄道の父』(3回目、第155回以来)(講談社刊)

澤田瞳子『火定』(2回目、第153回以来)(PHP研究所刊)

藤崎彩織『ふたご』(初)(文藝春秋刊)

 

 直木賞も5作品が候補に並んだ。私は門井さんの『銀河鉄道の父』と藤崎さんの『ふたご』しか読んでいない。しかし私は門井さんの『銀河鉄道の父』に受賞してほしいと思っている。

 門井さんの『銀河鉄道の父』は宮沢賢治の父親、宮沢政次郎の伝記になっている。一家の長としての政次郎、子を思う父親としての政次郎、はじめこそそのふたつの政次郎像で揺れるのだが、賢治が大病を患うや、この看病を付きっきりでおこない、下の世話までいとわない始末。当時このような父親はありえない。父は家長として構えていなければならないのだ。しかし政次郎はここからさらに父として愛を炸裂させる。対して子の賢治はそんな父を頼み煮え切らない情けない青年になってしまう。しかしそれでも見捨てられない哀しい父親。息子の最期を看取ってしまう哀しい結末に政次郎がどう振る舞ったか。ここには確実に一人の人間の一生が描かれており私は大満足だった。

 藤崎さんの『ふたご』は青春の苦しみを克明に描き出しており読んでいてこちらまで苦しくさせられた。これは素晴らしい力量である。しかし結末がいただけない。どこかに原稿は単行本の倍以上書いており載っていないエピソードもあった、と著者が語っていたが、もし別パターンの結末があったのならそちらも見てみたい。投げ出してしまうことが作品の終わらせ方として正しい場合もあるが、この作品のように丁寧に書かれている場合は最後まで丁寧に描き切ってほしいと思った。

 

いきなり書きすぎて疲れた

 元来三日坊主の私が、初めての投稿で3000字以上書いてしまった。こんなことでは三日坊主どころか二度目の投稿さえ滞ってしまうだろう。こんなに頑張るのは書きたいことがあるときか、芥川賞直木賞祭りの時だけにしたいと思う。次からはハイチュウおいしいとかそれくらいの中身のない内容を投稿していきたい。