第160回芥川賞㉕ 受賞作予想「戦場のレビヤタン」砂川文次(『文學界』12月号)
第160回芥川賞㉔ 受賞作予想「ジャップ・ン・ロール・ヒーロー」鴻池留衣(『新潮』9月号)
なにがなんだかわからなかった
以前読んだときは適当に読み飛ばしてしまってなにがなんだかわからなかった
tsunadaraikaneko-538.hatenablog.com
今度はじっくり時間をかけて、されどなにがなんだかわからなかった
続きを読む第160回芥川賞㉒ 候補作決定(直木賞も)
きたきたきたきたきた波乱やないかい
とりあえず私の予想と照らし合わせてみる
芥川賞候補作
実際の候補作
・上田岳弘「ニムロッド」(『群像』12月号)→候補入り3回目(第154回以来)
・鴻池留衣「ジャップ・ン・ロール・ヒーロー」(『新潮』9月号)→初候補
・砂川文次「戦場のレビヤタン」(『文學界』12月号)→初候補
・高山羽根子「居た場所」(『文藝』冬季号)→初候補
・古市憲寿「平成くん、さようなら」(『文學界』9月号)→初候補
・町屋良平「1R1分34秒」(『新潮』11月号)→候補入り2回目(連続2期候補入り)
金盥予想:的中率2/6(33.3%)
直木賞候補作
実際の候補作
・今村翔吾『童の神』(角川春樹事務所)→初候補
・垣根涼介『信長の原理』(KADOKAWA)→候補入り2回目(第156回以来)
・森見登美彦『熱帯』(文藝春秋)→候補入り3回目(第156回以来)
・深緑野分『ベルリンは晴れているか』(筑摩書房)→候補入り2回目(第154回以来)
金盥予想:的中率2/6(33.3%)
・深緑野分『ベルリンは晴れているか』(筑摩書房)→〇
続きを読む第160回芥川賞㉑ 候補作予想まとめ(直木賞も)
いよいよ明後日、12月17日の午前5時に芥川賞直木賞の候補作が発表される。どんどん寒さは強まるなかのストイックさ。いったい誰のためにこんなに朝早くに発表するんでしょうか。
お知らせが遅くなりましたが、第160回芥川賞・直木賞の候補作は、12月17日(月)の午前5時に当会ウェブサイトおよびこのアカウントで発表いたします。#芥川賞 #直木賞
— 日本文学振興会 (@shinko_kai) 2018年12月14日
芥川賞の方はめぼしい作品は一通り目を通したが、直木賞はどうしても気になる作品が尽きることはない。まずは候補作予想に当たり目を通した作品を時系列に沿って列挙してみる。
・鴻池留衣「ジャップ・ン・ロール・ヒーロー」(『新潮』9月号)
作品数だけで見ると芥川賞はずいぶん読んだなあ、という感じだが、文字数ページ数で考えると直木賞とそんなに変わらないんじゃないだろうか。読んだ直後は「結構いいな」と思った作品が多かったのだが、いま思い返すと何に感動したか思い出せない作品が多いことに驚く。とりあえず定石に従って6作程度に絞り込んでみる。
芥川賞候補作予想
候補作(予想)は以下の6作品である
直木賞候補作予想
候補作(予想)は以下の6作品である。
・深緑野分『ベルリンは晴れているか』(筑摩書房)
直木賞の方はまだ読み終わっていない作品を入れてしまった。前回の159回のときは両賞ともこの人は取るだろう、という大本命があったが、今回はどちらもそういう作品がなかったような気がする。あえて言えば芥川賞は石田さん、直木賞は森見さんかなという印象だが、特に石田さんはいまひとつ決め手に欠ける。それも踏まえて、芥川賞は坂上さん町屋さん、直木賞は彩瀬さんが受賞すると予想する。というか受賞にふさわしいと思う。それぞれの作品への感想はそれぞれの記事を参照してほしい。
とにかく明後日の候補作発表を待つ。今回は時間があるので頑張って候補作をもう一巡するつもりである。
第160回芥川賞⑳ 番外編Ⅵ 直木賞候補作予想『ぎょらん』町田その子(新潮社)
もったいないオブザイヤー。最後から2番目の章を読み終えた時点ではこれが今回の受賞作だと確信していた。
人が死ぬときに抱く強い想いは「ぎょらん」という赤い珠としてこの世に残るという。その「ぎょらん」にまつわる短編集。設定は独特だが筋立ては非常にオーソドックスで、人間を一面的に捉えてはいけないという教訓が全編を貫いている。親友が残した「ぎょらん」に込められた強い憎悪の念に苛まれ社会をドロップアウトした青年朱鷺(とき)をはじめ、みな人生に何か問題を抱えている。そしてそれらは基本的に人の死という取り返しのつかない事態に関わっている。自分の物の見方によって決めつけてしまう人間の弱さと、そのせいで招いてしまう取り返しのつかない事態、そこからたちどころに現れる拭いきれない後悔。それらに立ち向かうには人はどうあるべきか。
序盤は設定を読者に伝えるためといった趣きだったが、後半へと進むにつれてどんどん物語に引き込まれてゆくのを感じた。最後の章さえなければ本当に素晴らしかったのだが。
作者が語りたいことを語るために綺麗に作りこまれた物語だった。丁寧に前フリをして読者が忘れないうちに回収する。大小さまざまなフリはすべてきちんと回収される。それがこの物語の読後の余韻を殺してしまったように思う。最後の章は朱鷺が母の死を乗り越えるという主題が置かれているが、なぜこの章は必要だったのだろうか。朱鷺は葬儀社に務めはじめてさまざまな人の死を経験し、確実に前向きに変わり始めていた。憧れの人も現れた。なぜ作者はそこから読者が想像しうるその後の物語を殺してまで一つの方向に絞ってしまったのか。私にはそれが非常に不満だった。
大小の前フリをきれいに回収しすぎてしまう癖も物語の感興を削ぐ点ではあるのだが、私はむしろそれは物語を作りこむことのできる技量を持っている証だと感じた。ただ最後の章だけはどれだけ贔屓目に見ても蛇足だった。起承転結のバランスがきれいにとれていることよりも読者に強く訴えかけられる形を意識することの方が小説にとっては重要ではないだろうか。
もしこれからこの作品を手に取ろうと思っている方がおられたら、最後から二番目の章までをひとつの作品として読んだうえで、一番最後の章は後日談のエピローグとして楽しんでみてほしい。
正直言って候補入りも怪しい。ただ途中までは本当に素晴らしかったので次の作品では全部言ってしまうのではなく、あえて言わない部分を残してみてほしい。