やっと読んだ
なんだかぞわぞわした
続きを読むきたきたきたきたきた波乱やないかい
とりあえず私の予想と照らし合わせてみる
芥川賞候補作
実際の候補作
・上田岳弘「ニムロッド」(『群像』12月号)→候補入り3回目(第154回以来)
・鴻池留衣「ジャップ・ン・ロール・ヒーロー」(『新潮』9月号)→初候補
・砂川文次「戦場のレビヤタン」(『文學界』12月号)→初候補
・高山羽根子「居た場所」(『文藝』冬季号)→初候補
・古市憲寿「平成くん、さようなら」(『文學界』9月号)→初候補
・町屋良平「1R1分34秒」(『新潮』11月号)→候補入り2回目(連続2期候補入り)
金盥予想:的中率2/6(33.3%)
直木賞候補作
実際の候補作
・今村翔吾『童の神』(角川春樹事務所)→初候補
・垣根涼介『信長の原理』(KADOKAWA)→候補入り2回目(第156回以来)
・森見登美彦『熱帯』(文藝春秋)→候補入り3回目(第156回以来)
・深緑野分『ベルリンは晴れているか』(筑摩書房)→候補入り2回目(第154回以来)
金盥予想:的中率2/6(33.3%)
・深緑野分『ベルリンは晴れているか』(筑摩書房)→〇
続きを読むいよいよ明後日、12月17日の午前5時に芥川賞直木賞の候補作が発表される。どんどん寒さは強まるなかのストイックさ。いったい誰のためにこんなに朝早くに発表するんでしょうか。
お知らせが遅くなりましたが、第160回芥川賞・直木賞の候補作は、12月17日(月)の午前5時に当会ウェブサイトおよびこのアカウントで発表いたします。#芥川賞 #直木賞
— 日本文学振興会 (@shinko_kai) 2018年12月14日
芥川賞の方はめぼしい作品は一通り目を通したが、直木賞はどうしても気になる作品が尽きることはない。まずは候補作予想に当たり目を通した作品を時系列に沿って列挙してみる。
・鴻池留衣「ジャップ・ン・ロール・ヒーロー」(『新潮』9月号)
作品数だけで見ると芥川賞はずいぶん読んだなあ、という感じだが、文字数ページ数で考えると直木賞とそんなに変わらないんじゃないだろうか。読んだ直後は「結構いいな」と思った作品が多かったのだが、いま思い返すと何に感動したか思い出せない作品が多いことに驚く。とりあえず定石に従って6作程度に絞り込んでみる。
芥川賞候補作予想
候補作(予想)は以下の6作品である
直木賞候補作予想
候補作(予想)は以下の6作品である。
・深緑野分『ベルリンは晴れているか』(筑摩書房)
直木賞の方はまだ読み終わっていない作品を入れてしまった。前回の159回のときは両賞ともこの人は取るだろう、という大本命があったが、今回はどちらもそういう作品がなかったような気がする。あえて言えば芥川賞は石田さん、直木賞は森見さんかなという印象だが、特に石田さんはいまひとつ決め手に欠ける。それも踏まえて、芥川賞は坂上さん町屋さん、直木賞は彩瀬さんが受賞すると予想する。というか受賞にふさわしいと思う。それぞれの作品への感想はそれぞれの記事を参照してほしい。
とにかく明後日の候補作発表を待つ。今回は時間があるので頑張って候補作をもう一巡するつもりである。
もったいないオブザイヤー。最後から2番目の章を読み終えた時点ではこれが今回の受賞作だと確信していた。
人が死ぬときに抱く強い想いは「ぎょらん」という赤い珠としてこの世に残るという。その「ぎょらん」にまつわる短編集。設定は独特だが筋立ては非常にオーソドックスで、人間を一面的に捉えてはいけないという教訓が全編を貫いている。親友が残した「ぎょらん」に込められた強い憎悪の念に苛まれ社会をドロップアウトした青年朱鷺(とき)をはじめ、みな人生に何か問題を抱えている。そしてそれらは基本的に人の死という取り返しのつかない事態に関わっている。自分の物の見方によって決めつけてしまう人間の弱さと、そのせいで招いてしまう取り返しのつかない事態、そこからたちどころに現れる拭いきれない後悔。それらに立ち向かうには人はどうあるべきか。
序盤は設定を読者に伝えるためといった趣きだったが、後半へと進むにつれてどんどん物語に引き込まれてゆくのを感じた。最後の章さえなければ本当に素晴らしかったのだが。
作者が語りたいことを語るために綺麗に作りこまれた物語だった。丁寧に前フリをして読者が忘れないうちに回収する。大小さまざまなフリはすべてきちんと回収される。それがこの物語の読後の余韻を殺してしまったように思う。最後の章は朱鷺が母の死を乗り越えるという主題が置かれているが、なぜこの章は必要だったのだろうか。朱鷺は葬儀社に務めはじめてさまざまな人の死を経験し、確実に前向きに変わり始めていた。憧れの人も現れた。なぜ作者はそこから読者が想像しうるその後の物語を殺してまで一つの方向に絞ってしまったのか。私にはそれが非常に不満だった。
大小の前フリをきれいに回収しすぎてしまう癖も物語の感興を削ぐ点ではあるのだが、私はむしろそれは物語を作りこむことのできる技量を持っている証だと感じた。ただ最後の章だけはどれだけ贔屓目に見ても蛇足だった。起承転結のバランスがきれいにとれていることよりも読者に強く訴えかけられる形を意識することの方が小説にとっては重要ではないだろうか。
もしこれからこの作品を手に取ろうと思っている方がおられたら、最後から二番目の章までをひとつの作品として読んだうえで、一番最後の章は後日談のエピローグとして楽しんでみてほしい。
正直言って候補入りも怪しい。ただ途中までは本当に素晴らしかったので次の作品では全部言ってしまうのではなく、あえて言わない部分を残してみてほしい。
朝倉かすみさんの作品を読むのは二度目である。前回読んだのは『てらさふ』でという作品であった。
tsunadaraikaneko-538.hatenablog.com
『てらさふ』は芥川賞を狙う女子高生が主人公であるという自己言及的な側面を持っており、直木賞には上がらなかったが、本当に素晴らしい作品だった。
『てらさふ』が直木賞に入らないということを踏まえると、今作もなかなか厳しいと言わざるを得ない。まず出版社の規模からして難しいだろう。潮出版から候補入りした例を探したところ、35年前の第89回に森瑤子さんが『風物語』で候補になっている。
たった一例しかない前例を更新するほど絶対に候補に推したい作品かと聞かれると、なかなか難しいものがある。
昭和の家庭の風景をていねいに掬い上げたこの作品は、派手なところはないが読んでいてしみじみと懐かしく温かい気持ちにはなれるだろう。直木賞でなければぜんぜん問題ない作品である。
ただわざわざ直木賞で取り上げるべきかと考えると微妙なのだ。しかし直木賞の「推されてしかるべき作家の推されてしかるべき作品を次々と見逃し、結果としてなぜこれが、というような微妙な作品で候補にしてしまう」という特性を鑑みると今作が候補入りする可能性ももしかするとなくはないのかもしれない。
朝倉さんはまだまだ書き続けられると思うので、もっと心を抉ってくるようなえげつない作品で選考委員を平伏せさせてほしいと思う。
本当に最近何を読んでも面白い。平和で幸せな人生だが、芥川賞を予想するうえではあまりに日和すぎてしまう。
『群像』12月号は巻頭で上田さんの「ニムロッド」と舞城さんの「裏山の凄い猿」が掲載されている。上田さんの作品は枚数200枚、芥川賞ストライクゾーンど真ん中だ。
ニムロッド 上田岳弘
その上田さんの作品「ニムロッド」は、ビットコインを発掘するよう社長に命じられた男サトシナカモトの話。仮想通貨の仕組みを全く知らない読者でも楽しく読むことができた。だがもちろん仮想通貨について理解できたわけではない。わからなくてもわからないなりに楽しめるのだ。なぜなら発掘をめぐる手に汗握る攻防戦が主軸というわけではないからだ。鬱を機に異動した小説を書く先輩ニムロッドと、中絶を機に離婚した彼女との3人の人間関係の中で物語は進んでゆく。この3人をつなぐのがサトシの涙なのである。なんて美しいんだろう。
仮想通貨の仕組みはやっぱりよくわからないが、サトシナカモトを名乗る人間がビットコインを発明したというか世界で初めて発掘した、というトリビアは手に入れることができた。上田さんの作品なのでSFだろうと高を括っていたが、意外にも事実に基づいている部分が多かった。それはおそらくビットコインというものがSFとしか感じられないくらい現実離れしたものだということだろう。
裏山の凄い猿 舞城王太郎
舞城さんの作品はいつも怒りの表現が巧い。怒りの中で混沌に呑まれてゆく表現が本当に舞城さんらしい、と感じた。世間の評価はわからないが、以前、芥川賞候補になった問題作「短篇五芒星」の中では、私は冒頭の「美しい馬の地」が一番のお気に入りだった。流産が発生してしまうこと自体についてどうしようもない怒りが込み上げてくる男の話だった。それは真っ当な怒りであるように感じられるが、傍から見れば奇人変人の類である。それがどうしようもない怒りの顕れなのではないか。
人を好きになること、自分でも抑えられない怒り、舞城さんの作品は世界が一貫している。今回も作中におなじみの西暁町(舞城さんの作品によく登場する架空の地名)が登場するが、西暁町が登場しなくとも、舞城さん作品の世界にすぐに首元まで取り込まれたことだろう。久しぶりの舞城さん作品だったので読んでいて懐かしくなった。
上田さんの作品が候補入りする可能性は十分にあると思う。今回候補入りしてもまだ3回目だ。ただ芥川賞の受賞は難しいかもしれない。三島賞ならぜんぜんありだけどもう受賞しているしなあ。私は好きでした。
舞城さんはもうすでに芥川賞という格ではないと思うが、前期で松尾スズキさんがひざびさの復活を遂げたりもしたのでありえなくはない。ただどちらかというと作品が短いこともあり私はこの作品で川端康成文学賞をとってほしいと思っている。舞城さんが芥川賞の範疇か否かは改めて取り上げたいと思う。